Mr.Childrenの新曲「turn over?」を聴いた。
1曲聴いてすぐに感じた新しい感覚、それは
「作りこまれた古さと新しさ」
Mr.Childrenがロンドンで生み出した、エピックでキャッチーなサウンド。
その楽曲から見える、古さと新しさを紐解いていこう。
turn over?の古さ
ローファイ的サウンドの心地よさ
まずは古さの感覚からいこう。
この「turn over」?は、前作の「Birthday」の流れを組んだサウンドづくりがされている。
ファンクラブの会報で何度も登場した、ロンドンでのレコーディング風景。
そのサウンドの生まれた場所が想起される様な、彼らの新しい音楽。
そう、いわゆる宣伝文句やらイメージ的には、確かに新曲。読んで字のごとく、最新の曲であることに間違いはない。
ただこの楽曲を構成する要素として重要なポイント。
それは、古さだ。
「Birthday」でも感じた人もいるかもしれないが、明らかに古い感じのサウンドを敢えて作りこんでいる。
これはハイファイだったり、ローファイという言葉で表現される。
ハイファイは、より現代的な最新技術や、新しいサウンドエッセンスを用いて録音された音。一般的には高音質なサウンドを指す。
音の景色がクリアで、明確に耳に入ってくる様なサウンド。
対してローファイは対義語であり、全く逆の意味だ。
今ではその意味は広義に渡るが、大まかに表現すると
音がざらついてる、ノイズがある、薄く膜がかかったような音
こんな感じだ。
これを見てくれているミスチルファンに対してわかりやすく伝えると
BOLEROのサウンドはハイファイ
深海のサウンドはローファイ
こんな感じだ。 ローファイは劣っている訳ではなく、敢えてこういったサウンドに仕上げる事に趣がある。
僕は以前「Birthday」を聴いた際に、自分なりに解釈をしてみだが、どうしても理解出来ない部分があった。
サウンドアプローチの部分だ。
この記事でも、良かったとか素晴らしかったという形容をしていないのは、その為だ。
単純に今Mr.Childrenが、ローファイ気味なサウンドアプローチをしてきた事に対し、単純に驚きがあった。
「turn over」も明らかにその系譜をつぎ、ローファイな仕上がりにしている。
ロンドンの曇りがかった空の様に、どこかフィルターがかった音。
細かな音の粒それぞれには、眩しい光がある訳ではない。しかし人間くさい、温かみがある音像。
人のコーラスとも取れるような、シンセサイザーの音色。ダビングされた桜井和寿の声。
現代の流行音楽やシーンを追っていると見失いがちな、懐かしく人懐こい様なサウンド。
この敢えての古さに、彼らの今のこだわりが表れていると感じた。
原点回帰的なサウンドエッセンス
そしてもう1つの古さは、まさにその懐かしさだ。
「turn over」を聴いた直後に、僕はウォークマンの早送りボタンを押してしまった。
そこから流れてきたのは、「メインストリートへ行こう」
彼らの3rdアルバムである「Versus」に収録されている楽曲。
それが終わると間髪入れず流れる、シンセとギターのカッティングが印象的なイントロの「and I close to you」
もう、僕が何を感じたかわかってもらえたと思う。
楽曲のイメージが似通っていて、この後の「Replay」が自然すぎる。
この4曲の流れが同じ時期に製作されたと言われても、ファン以外は違和感を感じないのではないだろうか。
サウンドの懐かしさは、どこか初期の「Versus」に繋がっている印象を抱く。
愛する人への焦る気持ち、キャッチーな曲調には、どこかあの頃の彼らが浮かぶ。
主人公の胸の高まりを表す様なCメロに強調されるボンゴや、体を思わず動かしたくなる様なハンドクラップが、その印象を強めている様に感じる。
確かに初期のイメージに近いが、僕は個人的に「EVERYTHING」や「Kind of Love」ではないと思っている。
その理由としてこの「turn over」の主人公は、社会から受ける劣等感やその不条理な仕組みから抜け出したい、といった様な社会性を持った大人像が描かれているからだ。
歌詞を見てみると青春の甘酸っぱさや、2人のことだけを考えている様な若さではなく、人生をそれなりに進め、自分なりの答えを見つけ出そうともがいている様な人間性が見えてくる。
惚れた腫れたのラブソングを歌うバンドから、社会性や人間関係、そして自分という存在と対峙する人間そのものを描くようになった桜井和寿の、変化の1枚であるVersusを想起させる部分がある。
まさに経験を積んだ大人のバンドだから見せることが出来る、極上なポップスだ。
turn over?の新しさ
直感的に耳に訴える構成
この楽曲はイントロ無しで、桜井和寿の歌い出しから始まる。
前作の「君と重ねたモノローグ」も同様に歌い出しからだ。
そして「Birthday」も、ストリングスとアコースティックギターの流れるようなフレーズが引用的なイントロから、10秒で歌い出す。
そう、イントロが無い。もしくは短くなっているのだ。
これはかつてイントロを手掛けていた小林武史から離れた影響というのもあるだろうが、何より本人たちが意識しての事ではないだろうか。
もしそうでなければ、イントロでの世界観導入というMr.Childrenの魅力の一つである大きな特徴をしまい込んでしまっていると言えるのだ。
この考え方には音楽業界では、制作時に当たり前となっている様な仮説がある。
今の時代、イントロが長い楽曲は聴かれないという事だ。
・1980年代まで前奏や平均約20秒
・2019年には平均5秒までに短縮
・サブスクだと5秒程度で25%離脱、30秒で更に34%が離脱する。
書籍 インターネット白書 内容より引用
上記の様な、面白いデータがある。
つまりサブスクが音楽を聴く環境として主流になっている今の時代、どんなに楽曲自体が良くてもイントロで離脱されては、まともに聴いてすらもらえないのだ。
指1本で、すぐに別の曲にいってしまう。
「重力と呼吸」インタビュー時から、リスナーの音楽の聴き方について言及している事から、メンバーがこの問題を軽視しているとは思えない。
ちなみに「重力と呼吸」の収録曲におけるイントロは、平均17秒となっている。
これが、次のアルバムではどの程度縮まるか、非常に興味深いところだ。
新しい表現方法
そして歌詞の表現方法として、もう一つ小さなポイントがある。
Mr.Childrenの楽曲の中で、非常に多くの意味を持ち歌われてきた「君」という存在。
この「turn over」では、初めて「キミ」と表記されている。
これは結構小さいようで大きなポイントであり、彼らの今の心境を表しているようにも感じる。
まず「キミ」と表記することでキャッチーになり、良い意味で軽さが生まれている。
正直若い世代は活字は読まないし、歌詞なんて読みはしない。歌詞カードが無いからだ。
そんな中でキミと表記する意味は、恐らく自分たちの気分的な問題も含まれていると考える。
「IT’S A WONDERFUL WORLD」以降、彼らはPOP再検証と題し多くの時間を「君」と呼ぶリスナーに対して費やしてきた。
それは自身がポップミュージックに対して自信を取り戻すための意味でもあり、目の前の大切な存在を病気によって再認識できたからでもある。
そして何より桜井和寿自身が自分を許容できた故、他者を認め受け入れる事ができたからに他ならない。
だからその「君」に対し歌ってきたが、前作「重力と呼吸」は「君」ではなく自身の存在証明について歌うという行為を見せてくれた。
これまではいろんな人の人生の物語のBGMになる曲というか、いろんな人が聴いたときに、それぞれがその歌の物語を自分に投影しやすいものっていうのを心がけて歌は作ってきたんですけど、今回に関してはあんまりそこに重きを置いてなくて聴く人の物語じゃなくて、音を聴いたらバンドのメンバーが見えるっていうものを凄く意識したんですよね。
「いつまで叫び続けられるんだろう」――桜井和寿、26年目の覚悟 yahooニュース記事より引用
だからこそきっと彼らはもう何かを得るより、自分が悔いなく生きる事で何が残せ周りにどんな影響を及ぼせるかに重きを置いていると考えられる。
だからこそそんな重圧とも言える責務から解放され、自由でありたいという気持ち。
そんな心地よい気持ちで、他者との関係性を取れる様になったサインとして、「キミ」という表現を使っているのではないだろうか。
キミに必要な理解者
今こそなろうと思います
今の彼らは、強い意志を持って大切な何かを与える存在ではなく、アドバイスを求められた際にスッと手を差し伸べる様な安心できる存在に感じる。
楽曲も新しいファン層を開拓する様な売れ線ではなく、どこか楽しめる人がいればそれで幸せ的な印象を受ける。
自分たちの直球を投げた「重力と呼吸」
今を生きる自分たち、その物の存在を示した「Against All GRAVITY」
そして新しい音を求めたイギリスの地。
彼らは全力を出し切り、ファンクラブ会報をみる限り「新しい音」を貪欲に吸収し楽しんでいる様に思える。
そんな彼らの気持ちが入れ替わった様な新しいサウンドが、この「turn over?」には表現されている。
turn overという単語には「入れ替わる」「逆転する」「新陳代謝」といった様な意味がある。
まさに彼らは自分たちのリズムで、楽しみながら新しく変わろうとしているのかもしれない。
これからのMr.Childrenが楽しみになってきた
僕は正直を言うと、「Birthday/君と重ねたモノローグ」だけ聴いた時点では、確信的な良さは感じていなかった。
ただ、新しいという感覚だけは残った。
次のアルバムがどういう形になるのか個人的に勝手な不安を感じていた。
しかいこの3曲が出揃ったことで、ようやくそのイメージやサウンドが自分の中で噛み砕けつつあり、楽しみになってきた。
新しさもあり、今までの彼らと違う部分もある様な「turn over?」
実に軽快で芳醇でエピックな1曲だ。
聴けば聞くほどにその魅力を知り、僕は今日もリピートボタンを押す。
コメント