遂にこの日がきた。
Mr.Childrenのニューアルバム「SOUNDTRACKS」がリリースされた。
どれだけ多くのリスナーが彼らの音を楽しみにしていたことか。
世の中が辛く厳しい時間を過ごしたこの1年。
彼らがドロップアウトした1枚は、どれだけの人の景色を輝かせてくれるのか。
【Mr.Children】SOUNDTRACKS
「Brand new planet」が見せた未来
彼らが音楽制作を続けたロンドンの地。
既に発表されていた「Birtday/君と重ねたモノローグ」
そして「turn over?」
この楽曲を耳にした聴き手は、確実に新しい彼らの音を感じていた。
そんな中、新しく僕らの耳に届いたサウンド。「Brand new planet」
そこに映し出されたMV。新たなアーティスト写真として発表された、あのアンティーク家具が並ぶ古びた部屋。
そこにいた彼らは優しい笑顔で、どこまでも力強いサウンドを鳴らしていた。
穏やかであり、僕らに未来を期待させるようなイントロ。
それは決して今までのMr.Children像にあった、印象的な導入で聴き手の想像を訴求する物ではなく、あくまで希望的な世界観に辿り着くまでの、直感的であり即時に感覚に訴える手段である事。
今のMr.Childrenは、アーティストとしての自身のエゴではなく、聴き手がどう感じるかという風景を一番に想像し楽曲を制作している。
この短いイントロと、30秒でサビに到達するという構成が、全く新しい彼らを予感させてくれる。
静かに葬ろうとした 憧れを解放したい 消えかけの可能星を見つけに行こう 何処かでまた迷うだろう でも今なら遅くはない 新しい「欲しい」まで もうすぐ
重く苦しい時代。誰もが自分の生きる希望や未来を見失っている。
いや、自分から諦めてしまう事の方が多くなったのかもしれない。それは同じ生活者として彼らも同じだ。しかし彼らは、決して「手遅れ」とは感じていない。
今だから目指すことのできる「新しい可能性」を模索し、進もうとしている。
そして、僕たちを進ませようとしてくれている。
ねぇ 見えるかな? 点滅してる灯りは離陸する飛行機 いろんな人の命を乗せて 夢を乗せて 明日を乗せて
彼らは自身の歌が、僕ら聴き手を希望や未来の場所に連れていく乗り物であると歌っている。
かつては一緒に行こう、飛ぼうと歌っていた。
しかし今彼らがライブで表現するのは、僕ら聴き手を乗せて進む「乗り物」という事。
それは飛行機かもしれない、あるいはバスなのかもしれない。列車と形容する時だってある。
だがそんな形は人それぞれ違って映っているのだろう。
ある人は、高く遠くへ飛びたいと願う。
またある人は、大切な人がいる家に帰りたいと願う。
どこか違う地へ、ゆっくりと旅をしたいと思っている人だっている。
そう、聴き手の数だけ願いは存在し、その乗り物の形や目的地は異なる
けれどMr.Childrenはいつの時代でも希望の虚像として、時間を超え、場所を超え、僕らをその約束の場所へ導いてくれる。
だから誰もがその乗り物に乗りたいと手を伸ばす。自分だけが知っている、未来へたどり着くために。
「SOUNDTRACKS」のジャケットは、様々な時代や乗り物が描かれている。
思いや形は違えど、彼らが目指す場所。
それはこの美しい緑が植わった地。
最短距離で向かう人、回り道をする人
車窓から景色を望む人、自分の歩く道を確かめながら歩く人
大切な物を抱いて向かう人、誰かと手を繋ぎ走る人
人それぞれの方法と思いで、その木へ向かっていく。
それは人類が誕生した時から、この地に植わっていた生命の木なのか
人々の目印や希望になる様に、誰かが「まがい物」として植えた木なのか
どれが真実であり、本物の話なのか。
そんな事はどうでもいいのかもしれない。
神が作ったのか、命から生まれたのか、誰かが植えたのか。
大切なのはそんな事ではなく、そこに人々の大切な物があるかどうかだ。
日常を当たり前に生きる事ができ、喜びや悲しみを感じる心があり
何気ないモノにさえ愛情を感じる景色、そんな物に触れられる時間
そんな日常の中の奇跡がそこにあるから、誰もが皆その場所を目指す。
そんな人々の願いを、Mr.Childrenはいつも優しく支えてくれる。
涙がこぼれ落ちれば、如雨露で種に水を撒き
誰かが項垂れれば、その足元を照らす自販機として静かにそこにある
そして何度でも生まれ変わっていけると、前に進む勇気を僕らにくれる
僕らには、いつだってMr.Childrenが。
彼らの音と笑顔が必要なんだ。
「Documentary film」が紡ぐ時間
そう、いつだって必要だ。誰もがそう思っている。
けれど何かのきっかけで、そんな大切な存在を失う時がある。
それは世の中の動きなのか、自身が生きる希望を失った時なのか、その存在が消え去った時なのか。
この「SOUNDTRACKS」の楽曲内には、多くの「終わり」が示唆されている。
桜井和寿も言うように、直接的な「死」を表現した物ではなく、「何かが終わっていく」という描写で僕らに表現される。
MVにしてもその表現は顕著だ。
最初に公開された「Brand new planet」
部屋の雰囲気はどこか古びていて暗いが、そこには窓の外から優しく温かい光が差し込んでいる。
メンバーの楽器は美しく照らされ、発した歌声はその光に響く様に、輝いている。
CDと同じくパッケージングされたドキュメンタリー “MINE”に収録された「others」のPVでは、荒れれ果てた部屋の様子が映し出されている。
そこで何があったのかは、誰も知る由がない。まるで全てが終わってしまったかの様な惨状。
最後に表現されるサウンドや光、まるで朝日が差し込むかのような景色は、何かが終わった後のカタルシスなのか。
だからこそ、この2曲で表現される対比は美しい。
1枚の作品に内包されたもの。
それは一人の人間の人生の一部や感情を切り取った様な風景、そんな時間をある意味で刹那的に感じられる、ピュアに凝縮された10曲。
そしてこの2つの時間の中間であり、作品の折り返し地点に添えられた楽曲が「Documentary film」である。
まだその部屋には光が差し込んでいる、けれど澄んだような青い煌めきはない。
かといって何もかもが手遅れな程の荒廃感も無い、まだ残されている時間がそこにはある。
部屋にはあの絵画も飾られている。しかしテーブルの上の蝋燭の火は消えている。
破られた本、床に散らばった紙。
自らかけたのか、誰かがかけたのか、家具には布が覆い被せられている。
この楽曲中に、部屋の中は夜に向かって時間が進んでいく。
純粋で真新しい欲望を歌っていた能動的な主人公の姿は影を潜め、大切な人の笑顔に会えるであろう残りの数を数えている。
君の笑顔につられ共に笑うのではなく、涙を流してしまう。
自分に残された時間を感じているからだ。
人は成長し希望を求め走り、大切な物を感じながら老いていく。
これから訪れる「その時」に向け、準備をし始める。
それは身の回りの物であったり、近しい人たちとの繋がり、気持ちの整え方、様々な物が重なっていくだろう。
自分の手で回してきたフィルム。虚構の無い本物のストーリーは、もうすぐ終わりを迎える。
この主人公はそんな道に差し掛かった感情の流れと、自身の未来の予感を表現した。
誰しもが彼らの歌を聴けることが当たり前でないとわかっている。
歌い手の「諦め」や「悟り」を感じたくない人もいる。
けれどその奇跡の様な時間、歌い手と聴き手の独白(モノローグ)が重なっていた瞬間を思い返しながら、いつしかその優しく残酷な事実を受け止めなければいけない。
だからこそ彼らにとって、僕らにとっての「今」が何より輝いて見える。
明日大切な人の笑顔が見られなくなったら
何気なく暮らしていた日常が崩れてしまったら
きっとそうわかっているのなら、僕らは今日を。今この瞬間を何より大切に生きるだろう。
僕は昨年のツアーを自身の中で最後だと思い覚悟し、彼らに会いに行った。
なぜそんな気持ちになるかは、25周年のツアーや「重力と呼吸」のツアーに触れた方なら、他者の感情であろうと何となく想像していただけると思う。
だからこそあの時の「今」が輝き、かけがえの無い景色と思い出として心に残っている。
この辛く厳しい時間が続く毎日に、彼らがある意味「ギフト」として僕らに届けてくれた10曲。
僕はこの大切な1枚を、自分だけの特別な体験や思い出として心に閉じ込めておきたかった。
この日の事は人生の中のたった1ページにしか過ぎないが、きっといつまでも輝いて見えると思う。
これは誰の目にも触れる事のない、自分だけの「Documentary film」だ。
そしてきっと、この文章を目にしているあなたにも、自分だけの本物の時間があるはず。
そんな大切な思い出と余韻、少しの寂しさに浸りながら、今日も僕は「Documentary film」を聴いている。
自分だけの「SOUNDTRACKS」
僕はこの「SOUNDTRACKS」をまだ数えるほどしか聴くことはできていない。
しかしきっと大切なのは、この作品に正解を見つけるという事ではなく、自分の中で少しづつ時間をかけて、自分だけの物にしていくという事。
誰かの表現や考えや解釈。それはあくまでも「誰か」の物だ。
その人が感じてきた素晴らしい経験や景色、感性から生まれた「SOUNDTRACKS」
だから僕も、僕なりの「SOUNDTRACKS」を育てる様に、時間をかけて聴いていきたい。
きっと1年後。いや10年後や30年後。自分が年老いた時に、もっと違う景色が見えているに違いない。
Mr.Childrenはあと何年かすると、デビューから30周年を迎える。
きっとこのアルバムはその年でも、いやきっと30年後も人々の人生の中で、光り輝くような1枚になっているだろう。
そんな景色を想像しながら、この1枚をゆっくりと、そして大切に聴いていきたい。
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