こんにちは、kumaです。
桜井さんが、聴き手へのどうする事もできない願いと衝動を抱えた『himawari』
歌い手の綴る内容(歌詞)や思いが通り過ぎていく事に対し、切ない感情を抱えている。
前回はそんな視点で考察をしてみました。
その思いを抱えた彼は、どう変わりながら進んでいくのでしょう。
『重力と呼吸 後編』
僕の歌と君の歌を歌う理由
『重力と呼吸』
01.Your Song
02.海にて、心は裸になりたがる
03.SINGLES
04.here comes my love
05.箱庭
06.addiction
07.day by day(愛犬クルの物語)
08.秋がくれた切符
09.himawari
10.皮膚呼吸
僕が僕であるために
アルバムのリード曲でもある『SINGLES』
この曲のPVには、俯瞰した様な主人公の姿が映っています。もう何かが終わってしまった後の様な憂いた言葉。
主人公の愛した人は、もう目の前にはいません。
去っていったのか、自ら別れを告げたのか。
自分に聴かせるだけの口笛は
少しだけ寂しくて胸締め付けるメロディ
もう目の前に思い(歌詞)を告げる人はいない。
自分だけの口笛とは、綴った言葉の内容を考えなくなった聴き手へのメロディなのか。
このアルバムでは非常に多く『空を見上げる』『風に吹かれる』といった描写が綴られます。
作品全体のサウンドは重く、衝動的な印象です。
それに対して、綴る人物描写はどこか寂しげ。まるで何かを待っている印象を受けます。
自分の力ではどうする事もできない思い。
風や空には『心を映した自然の成り行きにまかせる』という、どこか自身の存在を俯瞰したイメージが見て取れます。
悲しいのは今だけ 何度もそう言い聞かせ
いつもと同じ感じの 日常を過ごしている
今感じている辛い気持ちを抱え、日常を過ごす。それがこの物語に与えられた自分の役割。
そんな、どこか俯瞰した冷めた様子で気持ちを消化する主人公。
この曲のPVには一人の男性が登場します。
愛する人と離れ、屋上で物憂げにしている彼。
自分の歩まなければいけない道の先をわかっていて、どこか冷たく寂しげな表情。
部屋に飾った向日葵の花の様に、暗がりの中に映る優しさと未練。
都会のビルの屋上で何かを悟る姿、自分を探す瞳。
どことなくですが、インタビューで歌詞や聴き手の音楽感の変化を語る際の桜井さんに重なります。
それぞれが思う幸せ 僕が僕であるため
oh I have to go
oh I have to go
君には君の思いや考え、人生がある。
だから受け入れて、黙って手を振った(himawari)
僕も行かなくちゃ。この道の先に。
2番サビ後の間奏でのピアノとギター。
幾つも重ねられたノイズの様なギターと繊細さを表すピアノの音が、平然を装う主人公の心の辛さを表します。
この曲で桜井さんが綴る歌詞について、どうしても語らずにはいられない大きな存在。
尾崎豊さんの代表的な曲の一つ。
『僕が僕であるために』
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
この曲の若者も同様です。冷たい都会の中で他者とすれ違いながら自分を探す。
僕は僕、君が君である為に、自身のアイデンティティを求め彷徨う。
同じように『冷たい街の風に』歌い続けています。
桜井さんは尾崎さんと世代こそ違いますが、大きくその影響を受けています。
命を削りながら、歌を生み出すような両者の音楽への姿勢。
尾崎さんの楽曲をカバーし、ライブで歌うほど思い入れのあるアーティスト。
桜井さんが制作した『and I love you』は尾崎さんの名曲『I lOVE YOU』を超える事はできないという理由から、同じタイトルを避けたというのは有名なエピソードです。
誰かの為に生きるって誇りを
僕に教えてくれたのは
君だけと言い切っていい
『意外と』『何処かに』『同じ感じの』
歌の中で曖昧な表現や生き方に迷う主人公が、ただ一つの迷いもなく口にできる事。
君(聴き手)が今の自分(歌い手)を生かしてくれている。
気持ちがすれ違っても、これだけは絶対変わる事のない思い。
君と私の繋がりを唄う歌(Your Song)は二人が重ねてきた宝物。
誰もが胸の中で 寂しさっていう名の歌を歌ってる
少し もの悲しくて 人恋しくなるメロディ
桜井さんは他者の為に歌う事をやめました(思いが通り過ぎるから)
今まで歌ってきたメロディは、聴き手が補完してきたからこそ意味がある物でした。
しかし今はそんな言葉の一つひとつが通り過ぎていきます。
この曲のPVでは、主人公の部屋が映り、『君』がいる場面といない場面で切り替わっていきます。
二人がすれ違う原因となるきっかけのシーン。
主人公が女性に手鏡を贈り物として渡す場面で言い争いになり、女性は鏡を床に落としてしまいます。
二人に流れる気まずい雰囲気。割れた鏡。
主人公(歌い手)が君(聴き手)に対し渡した鏡。
『透き通る真っすぐな顔』『優しい死に化粧の顔』『虹を見た笑顔』
それは主人公が知っている美しい君を見てほしいからか、君に足りない何かを見つめ直してほしいからなのか。
そんなメタファーが表れている気がします。
歌や思いは伝えるべき相手がいるからこそ意味を持つのであって、自分だけの口笛は空虚に空に響くだけ。
2番の終わりに『oh you’ll have to go』と歌った後『all right!』と叫んでいますが、その叫びは歌詞にはありません。
心の迷いを吹き飛ばしたい気持ちが、意図せず言葉として出てしまったのでしょうか。
Mr.Childrenの作り上げてきた楽曲。
それは人と人の間にある思いの共有こそが、大きな要素であり希望の虚構でした。
部屋に寂しげに飾ってあるひまわりの花。
今は皮肉にも陽だまりの中に咲く姿ではなく、暗がりに咲く思い出の象徴。
このひまわりが、再び暖かな場所で咲く時はくるのでしょうか。
大海原を泳ぐ鯨
『here comes my love』
破り捨てようかな
いやはじめから なかったものって思おうかな?
拾い集めた淡い希望も 一度ゴミ箱に捨て
この歌には今までMr.Childrenが、聴き手と共に紡いだ言葉や象徴がいくつか出てきます。
破り捨てる(夢やゴミ箱が出てくる『蘇生』『潜水』『彩り』『pieces』『FANTASY』)
鯨(他者からの承認を得て、自身を振り返った力の象徴 SENSE)
灯台の灯り(お互いの思いを積み上げてきた楽曲 Sign)
彼は何度も夢や希望を見てきました。
バラバラなピースを探しながら、汚れたページに続きを描く。
何度かゴミ箱に捨ててきた希望も拾い上げ、未来を聴き手と紡いできました。
しかしそんな今まで紡いできたノートのページを、初めから無かった物にしようとしています。
それは一緒に言葉(思いや歌詞)を書いてきた、君の存在が大きすぎるから。
君がいる大きな海のイメージ。
だから『himawari』では明日へと漕ぎ出すと表現されています。
かつては鯨(SENSE)となり、自信と共に深海から飛び出した彼。
今の自分は海の上で彷徨うピノキオ(夢を持った人形)
祈るように 叫ぶように
この想いがはぐれないように
ダイナミクスを持ったロックバラードでありながら、演奏の緩急により歌い手の気持ちが繊細に表現された聴きごたえのある楽曲です。
自分は君にとって輝ける存在ではない。
けれど街にある自動販売機の様に、灯台が照らす優しい光の様に。
すぐ近くでも遠くからでもわかる様な、暖かで優しい灯りでありたい。
これは『Worlds end』や『Sign』で桜井さんが聴き手に向け歌ってきた気持ちであり、今も持ち続ける心。
すれ違っていても、今までの自分を支えてくれた大切な存在という事は変わっていないという事を表しています。
風が引き裂いても
見上げた空には雨雲があるけど
このアルバムで、主人公が様々な場面で心を預けていた風と空。
自分の力で物事を変えなければいけない事は、主人公にはわかっています。
祈るように 叫ぶように
また流れに飛び込んでみるんだ
だから『himawari』で感じた感情を、強さに変えていく事を選びました。
『重力と呼吸』というタイトルの『重力』という文字が、『動く』に見えたと桜井さんは語っています。
物事や自身の気持ちを憂いて、何かを待っているだけではいけない。
再び荒波の中に身を預け、海原の何処かにいる君へと泳いでいく。
灯台の灯りが君に届かないのであれば、もう一度希望を胸にあなたの元へ行くという歌い手の意思。
繋いでいたその手が離れてしまっても
見失わぬように君のそばにいるよ
希望を胸に吸い込んだら
また君と泳いでいこう
here comes my love
here comes my love
いつかきっと 僕ら辿り着けるよね
桜井さんはこのアルバムで『あなたがいて今の自分がいる』という姿勢だけは崩しません。
それは揺るぎの無い事実であり、変わらない気持ちだから。
聴き手が変わった事を憂い(himawari)
苦しみの中で自分らしさを探す(SINGLES)
SINGLESの中で物事や見える世界を俯瞰し、進むべき道とは何かを風に任せていた歌い手。
この姿こそ、自分が嫌気のさしていた(himawariの大サビで吐き出す、主体性の無さ)存在ではないのか?
だから空を見て風に吹かれるのではなく、海に飛び込んでいく。
他者に求めたり、期待だけに応えるのではなく、自分が変わらなければいけないという強い意志。
そんな強い意志を持った主人公だからこそ、歌の中で離れていたイメージの聴き手に対して『いつかきっと辿り着けるよね』と優しく呼びかける事ができる。
今までの距離感から一転し、歌い手の優しさに溢れた顔が目の前に浮かび上がってくるようなこのフレーズ。
歌い手は再び、聴き手と繋がる事を望みました。
自分の殻に閉じこもる様なちっぽけな世界では無く、もっと大きな世界に飛び込むイメージを持って。
全てを受け入れて
重力と呼吸で歌い手が考えている様な『聴き手の音楽への接し方』や『今の時代での音楽の役割』
『REFLECTION』発売時に桜井さんは『ポップミュージックとして、この世の中に対しどういう歌を放てばいいのかわからなくなった』という旨の発言しています。
世の中の動きに対してのアクションを考え、それが結果的に全方位に向けた音楽制作という形の結晶を生み出しました。
では今回のアルバムはどういった提示をしていくのか?
『重力と呼吸』は音を聴くと、ロックで重厚感のあるサウンドが主となってアルバムを作り上げています。
しかしそこに表れているのは、単に音楽のジャンルやどのターゲットに向けた歌という話ではありません。
うん、逃げるという言い方は良くはないかもしれないけど、作品に逃げないで、Mr.Childrenというバンドが本物であるという証拠を残したかったという気持ちが、このアルバムにはありますね
ROCKIN’ON JAPAN 2018年11月号 桜井和寿インタビューより引用
自分達が鳴らす、真っすぐな音を聴き手に届ける。
届いたかどうかが重要ではなく、その姿を見せる事に全ての意味がある。
何も考えず無意識に4人の音が鳴った瞬間の力こそが、聴き手の心を揺さぶる物と信じているんです。
これまで多くの時間と経験を重ねてきた。だから希望も絶望も全てを受け入れるフラットな音楽観を受け入れられた。
小さな世界から抜け出し、まっさらな気持ちで広い世界を見る主人公。
『海にて心は裸になりたがる』
この曲は所謂、80年代後半に多くあったビートロックに分類される曲です。
ビートロックは8ビートの疾走感溢れるリズムを特徴としています。
代表的なバンドといえばBOØWY、そしてTHE BLUE HEARTSや、星になれたらを共作した寺岡呼人さんが所属したJUN SKY WALKER(S)あたりでしょうか。
正直私は時代を感じてしまい、アルバムの中では好きな方ではありませんでした。
この曲は、主体性がなく表層的に物事をなぞる今の時代を生きる人に向け歌われています。
これは桜井さんが時代を憂い、聴き手にチクリと注射を打つ様に歌っているのではありません。
彼も自身に対してそう感じているからこそ、心を開放した広い世界に君もおいでよ!と満面の笑みで呼びかけているんです。
この曲をライブで聴いた瞬間。本当に心を素っ裸にされた気分でした。
とにかく音に対し「ああ、叫びたい!」という感じ。
この曲に対してネガな印象を持っていた私は、もうそこにはいませんでした。
恐らくMr.Childrenのライブで、桜井さんの煽りに対して一番叫んだ最後のレスポンス。
本当に気持ち良かったです。
心を揺さぶる様な真っ直ぐな音。
『皮膚呼吸』には、そんな今しか出せない彼らの音が詰まっています。
冗談だろう!? もう試さないでよ
自分探しに夢中でいられるような 子供じゃない
SENSEで今までの音楽を振り返り、自分探しを終えた彼ら。
もうそんな自分探しに時間を費やしている暇は無いと考えているんでしょう。
残された時間で、悔いなく音楽を奏でようとする彼ら。
桜井さんは今回のアルバム中に、フラットな面持ちで大人になれたと語っています。
ネガからポジという今までの自分ではない。
両極の大切さを把握した上で、今の聴き手へダイレクトに音を届ける。
楽曲のエモーショナルさと普遍性。
そして歌い手の冷静さと情熱が、このアルバムを作っています。
皮膚呼吸では自身の事を『出力が小さなただ古いギター』と歌っています。
ONE OK ROCK、エレファントカシマシ、SPITZ、RADWIMPS、くるり、ASIAN KUNG-FU GENERATION。
様々なジャンルや世代のバンドと共演を経て、自分たちに足りない物や強みを感じる事ができた彼ら。
だからこそ、今自分たちにしか出せない音を鳴らす。
体力面やテクニックで闘えないのであれば、熱量と思いで聴き手の胸にに響かせる。
I’m still dreamin’
無我夢中で体中に取り入れた
微かな勇気が 明日の僕を作ってく そう信じたい
その為には変わるのを待っているのではなく、自分たちが新しい物を取り入れて変わらなくてはならない。
だから無我夢中で全てを取り入れた。
その勇気を鳴らしたのが、この『重力と呼吸』
25年走り続けた彼らは、まだ挑戦を続けます。
そしてどんな試練が立ちはだかっても、変化を恐れずに自分を超えていく。
苦しみに息が詰まったときも
また姿 変えながら
そう今日も 自分を試すとき
僕の歌、君の歌
このアルバムを初めて聴いた時は、作品の良さが正直すぐに入ってきませんでした。
良い感じなのはわかるけれど、何となく物足りない感じ。
ジワジワ良くなっていくタイプの作品なのか…
けれど時間をかけて聴きこんで、作品の意味や歌い手の思いを日々考えました。
桜井さんのインタビューをよく読んでから気付き始めた事。
それは、作品の良し悪しや音楽の技術ではなく、思いを聴くアルバムなんだという事。
このアルバムでどことなく感じた、桜井さんの冷たさや俯瞰。
それは全てを受け入れた後に辿り着いた、ミュージシャンとしての形。
フラットに物事を見つめ、現状に満足しない向上心の塊。
Mr.Childrenというブランドで聴いてほしくなかった。
同じことをやり続けて、聴き手やスタッフに飽きられる危機感。
いつまでも『Mr.Childrenらしさ』なんて掲げていては、前に進めない。
だから、変わらなきゃいけない。
彼らは聴き手へ歌う事やめて、自分の意思を歌った。
別に聴き手を突き放した訳じゃない。それはアルバムの中で全面的に歌われている。
関係性を見つめ直したからこそ、自身と相手の大切な所がはっきりと認識できる。
だから『君じゃなきゃ』と何度も歌う。
既成概念や予定調和を壊して「Mr.Childrenはこうやっていればいいんだ」というレールから外れていく。
今思えば全く方向性の違う『REFLECTION』からのベクトルと、意志的にはしっかりと筋道が通っていたんだと感じました。
「後輩ミュージシャンがこのアルバムを聴いたら、音楽をやめたくなるような、また、もう僕らを目標にするなんて思わないくらい圧倒的な音にしたい」
Mr.Children公式HP 重力と呼吸特設ページ 桜井和寿コメントより引用
この言葉がようやく自分の中に、よどみなく入ってきました。
作品を聴いてほしいんじゃない。ただ圧倒的な音を、思いを聴いてほしい。
20年以上彼らの音楽に触れてきたのに、自分がとても小さく恥ずかしかったです。
いつものMr.Childrenで、バッターから三振を取るのではない。
皆が目を止める程大きく振りかぶって、真っすぐな直球を投げる姿をただ見せた。
聴き手やスタッフ、そして音楽を愛する同じミュージシャンに。
三振したかなんてわからない、けれどそれでいい。
音楽活動25年を過ぎたアーティストがそんな姿を第一線で見せるなんて、本当に最高なアルバムだって思います。
そんな姿に見せられて、また私たちも前に進んでいける。
誰でも、自分しか知らないストーリーがある。
一人ひとりの中に、自分だけの歌がある。
あの時ビルの屋上で『I have to go』と呟きながらも、何かを風に任せるように空を見上げていた主人公。
今は力強く、そして真っすぐに心の声を空に響かせています。
これは彼らが今まで歌ってきた『あなたの為の歌』ではありません。
僕の歌。そしてあなたの歌。
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