「Mr.Children」今の時代だからこそ、改めて彼らの音楽の楽しみ方を考える。

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僕は以前の記事で、Mr.Childrenのライブへ行った際の事を備忘録として記した。

この時の僕は、「もしかしたら最後かもしれないから、ライブに行く事ができてよかった」と思っていた。

 

Mr.Childrenを20年間聴き続けた野郎が童心に還った夜【Mr.Children Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY”】
東京ドームで行われたMr.Childrenの『重力と呼吸』ツアー。彼らの気迫とプライドと思いが溢れた最高の瞬間の記録。

この「最後かもしれない」というのは、彼らがここ最近の活動において僕らに感じさせていた空気から感じ取った物だ。

「重力と呼吸」という作品は、飛び道具も変化球も捨てた彼らの真っすぐな直球を感じる一枚だった。

キャリア的な物、彼らを取り巻くミュージシャンの環境変化、確実にやってくる体力の衰え。

 

25周年を祝ったライブである

「Mr.Children DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25」

彼らの25周年を名曲と共に振り返る祭典といったような、華々しいライブが表現する陽のイメージとは裏腹に、陰の部分は少なからず見え隠れしていた。

実際メンバーは自身のケアや体力管理をしつつ、真夏の野外においてどれだけのパフォーマンスで27曲を演奏しきれるかという問題を抱えていた。

まだやれるという確信はメンバーに生まれた様だが、「まだ」だ。

 

そこには人生の折り返しを過ぎた、トップアーティストの挑戦と葛藤が垣間見える。

自分たちが楽しく演奏できなくなり、観客と向き合える様な愛おしい時間が無くなる。

今の彼らは、そんな不安と隣り合わせで日々歌を紡いでいるのだろう。

 

だからこそ、ライブで演奏された時の流れを感じさせる楽曲や、物事の両面である夢と現実。

刹那的なそのフレーズの一つひとつによって、聴き手に提示する楽曲たちが命を帯びていく。

 

そんなイメージを引きずったのか、僕は「重力と呼吸」そして「 Against All GRAVITY」では、どこかある種の覚悟を持ってライブに臨んでいた。

 

これまで幸運な事にホールツアー以外は、2004年の「シフクノオトツアー」からライブに参加することが出来ている。

チケットを握りしめ、あるいはスマートフォンの充電を満タンにして向かう高揚感しかない会場への足取りも、この日ばかりは少しだけ異なっていた。

 

僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、真夏の青空には少しだけ雲がかかっていた。

 

 

ライブ終了後はいつもなら、感想やらセトリについての思いやらとにかく興奮の中で発狂している事が多い。

けれどこの後のツイートは「ありがとう」と「目に焼き付けてきた」

これだけだった。

 

やっぱりこのライブは特別だった。彼らにとっても、僕にとっても何かが違った。

 

そんな心境でライブを終え

「次、彼らに会える事はないかもしれない」

「それでもいい様に今日を過ごした」

そう思ってその日は静かに更けていった。

 

 

そして2020年、春。

世の中は大きく変わった。

 

世の中への影響や皆が抱えているストレスは、もう飽きるほどニュースや街で取り上げられている。

僕が今更そんな事を書いても、特別意味はない。

 

いや、今綴っている様な、一人の人間が好きなバンドについての思いこそ、意味なんてないのかもしれないけれど、僕が去年の春に感じた不安は別の意味で現実になった。

音楽という娯楽は、人々に余裕がある環境に置いて楽しむ文化として、苦しい立場に立たされている。

これから実際どうなるかは誰にも予想はつかない。

もう人と人が向き合って音楽を楽しむ事は、叶わないことなのかもしれない。

 

今はマイナスな事実や出来事を、いかにプラスに変換できるかがカギだと思っている。

誰もが疲れ切っていて、もうマイナスな声を上げて行動をする人とは距離をおきたい。

僕はどちらかというとウイルスより、そちらの人々とソーシャルディスタンスを保ちたい。

 

ライブが無くなれば、収益が無くなる。

もちろん今まで行われていたアーティストたちのライブが、必ず大きく収益を上げていたりするわけでは無いと思う。

 

しかし今の音楽文化はCDやストリーミングなどの音源だけでなく、ライブに行って人々が交流を図り互いに欲求を満たすという大切なコミュニケーションツールだ。

その中には物販や食事、ファッション、周辺地域の経済効果なども含まれ、多くの人がそこには関わっている。

 

ライブ会場の環境に拘り過ぎて、毎回公演が赤字になるという冗談とも本当ともつかない話で有名なサカナクションの山口一郎。

彼は自身を支えるスタッフの救済措置として、販売する映像作品の売り上げをスタッフの今後の活動、そしてこのショックに関する補填に回そうとしている。

 

エラー | ビクターエンタテインメント

 

メディアで多くのアーティストや関係者と今後の可能性について話し、形を変えながらもどうにか音楽を残そうと奔走している。

 

そう、もう今までと全く同じという物や環境をを望むのは、無理な話だ。

 

 

 

これから僕は、Mr.Childrenとどう向き合っていくのか。

 

恐らくこの春には、彼らは何か動き出すつもりなのではないか。

春が来るまでは、そんな淡い期待を描いていた。

 

彼らも聴き手を楽しませようと新しい音を奏でようとしていたと思うし、きっと様々な試みを用意をしていたのではないか。

今、彼らはどんな気持ちで耐えているのか。どんな可能性を模索しながら、日々を過ごしているのか。

 

ここで一つ言えることが、僕は彼らが出した答えや可能性を笑顔で受け止めたい。

 

人は満たされている状態では、無限に欲が出る。自分が充分に満たされているとも知らずに。

 

そろそろ曲を聴きたい。ライブに行きたい。もっとバンド感のあるサウンドが聴きたい。

ヘッドフォンで聴いた時の音場が広く表現されたサウンドが欲しい。

一度もライブで演奏していない楽曲を聴いてみたい。田原さんの表現をもっと見てみたい。

節目の年でいいから音源や映像をリマスタリングで再販してほしい。

叶うならファンクラブのサービスをもう少し向上させてほしい。

切実にセンスの良いライブグッズが欲しい。桜井さんのVネックはそろそろ抑え気味にした方がいい。

 

勝手に言いたい放題だ。本当に勝手だ。

 

彼らがいる事が当たり前の毎日は、もうそこにはない。

二度と会えないかもしれない。もう曲は出さないかもしれない。活動をやめるかもしれない。

 

この「当たり前」を、僕は 「Against All GRAVITY」で静かに熱く感じていた。

だから不思議と絶望感は無い。どこかふっと腹落ちした様な感情が、僕の中にある。

こんな風なそこにある「当たり前」が無くなる事を、あのツアーは僕に教えてくれていたのかもしれない。

 

僕のライブ備忘録を見返すと、稚拙ながらもこんな表現であの会場の空気と自分の感情をパッケージングしていた。

 

今目の前で見ている光景は

皆が手拍子しながらメンバーが出てくるのを待ってて、この非日常的な夢と現実が混ざった空間で暗闇と光が同居するようなMr.Childrenが対比で表してきた事が具現化されてる最高の場所。至高。もうこれ以上に上は無い。

 

若いカップルもメンバーより上の歳の方もお母さんに抱っこされてる小さい子もこの後洗濯したらヨレヨレになるツアT着てる彼も初めて来て勝手がわからなくてスマホライトしちゃう女の子も演目中死んだような顔で体育座りで警備して必死に皆に銀テープ配ってた彼も東京ドームという音楽なんて聴けやしない箱なのに細部まで音響調整して最高の音を届けてくれるPAさんも危険な高所でずっと撮影してくれているカメラさんもメンバーを照らし続けてくれる照明さんも

 

本当にみんな愛しかったよ。最高の場所だった。

 

だって皆Mr.Children好きなんだよ。ここにいる人。

 

そう、こんな風に平和な毎日にあってちょっと手を伸ばせば届いていた景色も、今は無い。

 

Mr.Childrenを20年間聴き続けた野郎が童心に還った夜【Mr.Children Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY”】
東京ドームで行われたMr.Childrenの『重力と呼吸』ツアー。彼らの気迫とプライドと思いが溢れた最高の瞬間の記録。

 

だから彼らがこの困難の中で出した応えを、僕は支持したい。

受け止めて、笑顔で何かを返したい。

 

深海に沈んだ自分を追うように、過去に無くした物を追いかけるのではなく

好きな物を笑顔で受け止め、前に進んでいきたい。

 

 

このライブから、今この世界で起こっている出来事において、僕が改めて一つ心に留めたこと。

それは、自分が好きな物に対して常に全力で楽しむこと。

 

もしかしたらライブは無くなるかもしれない。

歌い手と聴き手が向き合い一つの景色を生み出す空間は、もう二度と生まれないかもしれない。

 

これからはより狭く苦しい時代になっていく。

恐らく僕が生きてきた人生の中で、一番生きづらい時代だろう。

そんな中で、小さな争いや悩みで時間を無駄にしたくない。

 

自分に対して、いくつ笑顔で頷けるか。

 

けれど僕は、意外にも映像作品や音源だけでもそれなりに楽しめるかもしれない。

そう思えたのは時代の流れなのか、あのライブの腹落ち感情なのか。

長い時間をかけてもう充分に彼らから多くの物を貰ったからなのか。

既存の作品でも充分楽しめる余裕と穏やかさが、僕にはある気がしている。

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これから無観客ライブだけでなく、アーティスト同士が知恵と表現を持ち寄り様々な試みが生み出されると考えている。

実際メディアで様々な可能性を目にするし、これまでの価値観では満足できなかった表現が、新たな付加価値を加えて僕らに提示される。

 

だけど決して辛い事ばかりではない筈だ。

これまでの作品を改めて聴くことで、新たな発見もある。今の時代だからこそ響く表現に気付くことだってある。彼らの音楽に対して知らなかった事だって、まだまだあった。

今頃になってようやく初期のMr.Childrenを真面目に聴き始めた理由。
Mr.Childrenの初期アルバム『EVERYTHING』『Kind of Love』『Versus』をようやく真面目に聴き始めた僕。 彼らの知らなかった音を一つひとつ丁寧に聴いて気づく、新たな発見。

 

こんな暗い時代に「深海」と「BOLERO」の対コンビを聴いて、新たに考察できるくらい僕のカルチャー精神は健全だ。彼らの音楽を再び楽しもうとする試みを、僕は何度繰り返しているのか。

【Mr.Children】深海とBOLEROに用意された椅子。手を伸ばす桜井和寿。
Mr.Childrenが残した印象的な作品である深海とBOLERO。そこに登場する二つの椅子に、彼は縛られていた。両作品を通して聴き、初めて見える物がある。

 

やはり自分の好きな物は、正直に突き抜けた方が良い。

それが何より気持ちよく、自分の気持ちに後悔を生まない。

 

人生を振り返った時に、この時間が長ければ長いほど、生きる意味を生み出せた人生になるのではないか。一つでもプラスな表現で自分の好きな物を肯定し、そこに夢中になっていく事。

それが何より自分を豊かにしてくれる事に違いない。僕は今そう思っている。

 

だからこれからもどんな形であれ、Mr.Childrenの音楽を聴いていきたい。

彼らの音楽はきっと新しい時代においても、一人ひとりの人生に寄り添ってくれる筈だ。

 

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