【Mr.Children】旅立ちの唄が桜井和寿にとって重要な楽曲の理由『もう一人の自分』

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こんにちは、kumaです。

 

『旅立ちの唄』

 

Mr.Childrenのシングルの中では、特別大きな存在感は無い様に感じるこの楽曲。

 

私も物凄く好き!という訳ではありません。

 

けれど

 

旅立ちの唄は桜井和寿にとって超重要な要素を含んだ楽曲なんです。

 

なぜかって?

 

彼の活動や人生と共に紐解いていきましょう。

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旅立ちの唄

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この楽曲は『Mr.Children “HOME” TOUR 2007 -in the field』のアンコールの最後に演奏された楽曲です。

その後シングルとして発売されました。

PVもライブ映像がそのまま使用されています。

アルバム『HOME』発売後に発表されたので、後の『SUPERMARKET FANTASY』に収録されています。

なんとなくリアルタイムな温度感を受けないので、しっくりこない方もいるかと思います。


歌詞を読んでみると

『とりあえず さようなら』
『返事はいらないから』
『はじまりを祝い歌う最後の唄』
『悲しみにさようなら』
『背中を押してるから』
『でも返事はいらないから』


どうでしょう。


どこかフワフワしていません?


何を言いたいのか掴みにくい表現であったり、相手への要望がある様で無い様な…


この独特の表現が、キャッチ―さとは真逆の場所にいるから聴き手は掴みにくくなる。



けど、それは当たり前なんです。


なぜならこれは



『桜井和寿がMr.Children桜井に宛てて紡いだ気持ちと言葉だから』



……え?何言ってんだって?



落ち着いてください、説明します。


もう一人の自分

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Mr.Childrenの楽曲の中には多くの『君』が出てきます。
聴き手であり、特定の人物であったり、近しい人であったり…


しかし幾つかの曲には

もう一人の自分を『君』と表現している曲

があります。


まず有名な所だと『innocent world』


この楽曲は、有名になりスター稼業を背負い始める自分を表現しています。

これから険しい世界へ足を踏み出す自分を、憂いながらも希望と未来への喜びと共に自我を叫ぶ楽曲。

Ah 僕は僕のままで ゆずれぬ夢を抱えて
どこまでも歩き続けて行くよ いいだろう?
Mr.myself

自分は人々の希望や夢を背負う存在になった。
それは同時に、純粋無垢な自分の夢や音楽への喜びから離れて行くこと。


桜井さんは2ndアルバムの『Kind of Love』までが、自分の心からの素を出した作品だったと発言しています。

つまり3rdの『Versus』以降は、自分を『他者の希望の虚像』として認識しているんです。
ここから作品がグッとシリアスなイメージを受けるのもその為ですね。


人は辛い事を避けようとする際、無意識に心の中でもう一人の自分を作ろうとします。


だから『純粋な桜井和寿』と『Mr.Childrenの桜井』を分人化する。




虚構の中で、もう一人の自分に辛さを投影する。

これは『シーラカンス』『深海』『ロザリータ』も同様です。

もう一人の存在を作り出し、純粋な存在である自分を守ろうとしているんです。

いつの日も この胸に流れてるメロディー
切なくて 優しくて 心が痛いよ
陽のあたる坂道を昇る その前に
また何処かで 会えるといいな
その時は笑って 虹の彼方へ放つのさ
イノセントワールド
果てしなく続く イノセントワールド


もう一人の自分に対して「君とまた何処かで会えるかな」と言っているんです。


しかしその後、虚像は人々の期待を全て受け止めきれず深海へ堕ちていきます。

再び二人が出会うのは、光の届かない深海。


そこには喜びの再会などは無く、相手へ助けを求め彷徨う悲痛な物になっています。


この『深海』というのがとてつもなく大きなターニングポイントとなっており、その後の彼はこの深海から脱出する事に必死でした。


聴き手は虚像(Mr.Childrenの桜井)を追いかけたが為に、桜井和寿は自分の殻に閉じ籠った。


『DISCOVERY』で失くした自分を探し
『Q』では他者からの承認と自我のバランスに苦しむ


そう、深海に堕ちた彼にとってもう一人の自分は『会えたらいいな』ではなく『絶対に取り戻す』という、ある意味強い意志と執着を持った存在になってしまったのです。


だから、深海直後は『他者から認められたい』という欲求を素直に表す事ができなかった。


 

今まで僕は人に評価されたいと思うことがものすごく恥ずかしかったんですよ。人に評価されたいと思うのは、すなわち自分に自信がないからであって、他者がそれを認めてくれることで自信を持てればいいと思うことで、自分が自信のないことを認めることになるから…でも、ああもっと歌うまくなりたいって自分が思っちゃったことでいろんなことを気付かされたんですよね。人から評価されたいと思った自分を認めなくちゃダメだなあって。
SWITCH 2005年1月号 桜井和寿発言より引用

 

そこで、Mr.Childrenが命題として新たに掲げたのが『POP再検証』


私のこれまでのアルバム記事は、POP再検証を中心として考察をしてきました。



『POPSAURUSツアー』を経て『IT’S A WONDERFUL WORLD』から、もう一度Mr.ChildrenのPOPミュージックの素晴らしさを再確認していく作業。


人々にとって優しい歌を真っすぐ歌う事こそが、今の自分たちにできる事。
そんな試みと同時に、もう一人の自分を探す旅はずっと続いていたんです。


その後『シフクノオト』『I LOVE U』『HOME』と、作品を世に放っていきます。

この作品たちに共通する点としては『日常』がポイントになっている事。


病気を通して彼は、当たり前の事が当たり前ではなくなりました。

だから、その全てが愛しい。


そんな日常感をポップミュージックとして昇華(消化)させたのがこの作品たちです。

桜井さんが、あまり理解されなかったと言及した『I LOVE U』

これは表層的なテーマは愛に見えますが、作品の中で主人公は『日常や当たり前にある物こそが素晴らしい』という考えに帰結しています。

www.housework-kuma.com


日常の些細な出来事に、自信を持つ
日常の当たり前にある物を、愛する事の大切さ
そんな単純作業や、物事が周り廻っていく喜び


この三作品で桜井さんは、自分への自信を大きく取り戻しました。



そして完全に自分を取り戻したきかっけは、アルバム『HOME』とそのツアーにあります。


 

HOMEツアーで共有された口笛

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この『HOME』のスタジアムツアーは、過去のMr.Childrenのヒット曲をこれでもか!という具合に演奏しています。

アルバム『HOME』の曲に関しては僅か6曲のみ。


そこには10年以上ぶりの披露となる『my life』『CROSS ROAD』『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』

初期の人気曲である『星になれたら』『Tomorrow never knows』『名もなき詩』


そう、Mr.Childrenが社会現象となっていた時期の曲を惜しげもなく披露しています。


ベスト盤ツアーでもないのに、このセットリスト。


これは桜井さんが、直近の三作品を通して『自分が認められている』という自信をつけ始めたからです。


自分を認めるという事は、過去の自分を許容するという事。

他者の所為にして自分を守っていたあの頃の自分を、赦せるようになったんです。


だから過去曲をいくつも届ける。

これは『Mr.Childrenを振り返り総括する』というテーマがあったSENSEツアーにも、過去の楽曲を演奏する事で表現されています。


もう過去に囚われるのは終わり、今の自分を見つめる事ができる様になった。



その何よりの象徴としての出来事が、HOMEツアーでの口笛の大合唱


この『口笛』発売当時はあくまで歌い手側の楽曲でした。

さあ 手を繋いで 僕らの現在が途切れない様に
その香り その身体 その全てで僕は生き返る
夢を摘むんで帰る畦道 立ち止まったまま
そしてどんな場面も二人なら笑えますように


天邪鬼に愛情を表した『Q』において、彼が求めていた聴き手への願い。

そして長く避けていた『ど真ん中のラヴソング』が再び紡げるようになった、自分への歌。
これが、当時の口笛を構成していた要素でした。

www.housework-kuma.com


つまり、あくまでも自己の歌。


しかし時は流れ、今の楽曲は全く別の物に変化しました。


今の口笛は単なる『歌』ではなく、は歌い手と聴き手が共有する『想い』です。

音を鳴らしているのはあくまでMr.Childrenですが、ただそれだけ。伴奏をしているだけ。


歌い手が自己の歌として届けるのではなく、完全に聴き手に表現する事を丸投げした状態。


そして最も大切な瞬間。



 


子供の頃に 夢中で探してたものが
ほら 今 目の前で手を広げている
恐がらないで踏み出しておいで

『子供の頃に~』の一節を桜井さんは歌います。目の前の聴き手に伝えたい想いだからです。

しかし『ほら 今 目の前で~』で歌う事をやめ、聴き手に完全に預けます。目の前の景色を感じたいから。


そしてこの一節


『恐がらないで踏み出しておいで』


この言葉を自らが歌うのではなく、何より他者から聴きたかった。


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この口笛を発表した頃彼は、自分の殻に閉じ籠り全てを拒絶していました。
けれど、愛されたいという僅かな願いを聴き手に訴えたのが『Q』


だからこの瞬間が何よりも大きな意味を持ち、歌い手と聴き手双方にカタルシスを感じさせる。
長い年月における幸福の着地点が、まさにここなんです。


歌い手と聴き手が歩んできた人生や想いが集約されているからこそ、あの空間は多幸感で溢れた想いの共同体となっています。




桜井さんは次のSignを演奏する前に、MCでこう語ります。

「今の皆さんのステージ側に向けたなんらかの想いに対する答えを、次の曲で表したいと思います。なので一方的にこちら側から皆さんに今度は送ります。」


もう私も涙腺が限界で解説する必要性は無いと思うので、皆さんで歌詞を改めて見て感じてください。笑




ポップ再検証は自分たちを振り返り、あくまで優しい歌を『歌う』というある意味一方的な試み。


聴き手へ全てを投げる。


今までのMr.Childrenが背負ってきた、ある意味でのプライドや固執した歌い手像から解放された瞬間でもあり、音楽の力を信じる力が強固な物になった一夜。


この作品とツアーで完全に承認欲求を満たした桜井さんが次に発表したのは『SUPERMERKET FANTASY』であり、こちらに至ってはもう自分たちの音楽なんてどうでも良くて、聴き手に全てを投げひたすら楽しんでもらう。

「もう自分たちはどうでもいいから、みんな自由にやって!」というメッセージがエソラや声といった楽曲やコンサートに詰め込まれています。

そして共有した歌たちを『SENSE』にて総括して、彼は深海から完全に脱出します。

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HOMEツアーの隠されたメッセージ

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このHOMEのスタジアムツアーには、もう一つ興味深い点があります。

それらアンコールで披露された三曲。
『Wake me up!』 『innocent world』『旅立ちの唄』


…そう、感の良い方は気付かれたかもしれません。


このアンコールは全て『もう一人の桜井和寿』が出てくる楽曲で構成されているんです。


『Wake me up!』湿った顔をした鏡の中の男(自分)に手を振り、また会おうと告げる
『innocent world』もう一人の自分にまた会いたいと告げる
『旅立ちの唄』もう一人の自分に温かい別れを告げる


三曲とも全て、もう一人の自分へ別れを告げていますね。


『Wake me up!』の印象的なこのフレーズ

Wake me up!今日こそ
吐き気をもよおしそうな
鏡の中の湿っぽい顔した自分に手を振るよ
凹んではひねくれていた 昨日も連れて行こう
この目の前にある恐ろしくて それでいて優しい海原を
僕は泳いでく


優しい歌で復讐を誓った鏡の男を愛せる事ができたからこそ、手を振って笑顔で別れる。

しかし『昨日は連れて行く』と言っています。

これは恐らく過ごしてきた時間や思い。そして楽曲の事を、表しているのではないでしょうか。


だからSENSEツアーで自ら過ごしてきた時間や楽曲と、真正面から対峙し総括した。
そして深海から完全に脱出した。

桜井さんはサーフィンの影響で水が好きなので、歌詞の中に海を表す物が多く出てきます。

POPミュージックへの挑戦や聴き手との関係性に喩えられている物も多くありますので、良かったら見つけてみてください。


ではこれらを踏まえて、もう一度『旅立ちの唄』の歌詞を見ていきましょう。


返事はいらない

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怖がらないで。
手当たり次第に灯り点けなくても
いつか一人ぼっちの夜は開けていくよ
転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん

深海に堕ちてから全てを拒絶した桜井さん。彼の心は孤独を感じていました。

誰も本当の自分を見てくれない辛さと、Mr.Childrenを背負っていかなければならない重圧。

転んで見た景色は、病に倒れながらもPOPミュージックの高みを望んだ心境でしょうか。

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう?また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か分からなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから…

もう君を無闇に求める必要はない。

何故ならこんなにも多くの人が自分(両方の)を必要として、歌を共有してくれる心の繋がりがあるから。

Mr.Childrenを肯定する事は即ち、もう一人の虚構の自分を認める事。

鏡の中の男に復讐をする。
今彼の心の中に、そんな気持ちはありません。


『innocent world』で再会を望んだ二人は、ここでまた出会い、お互いを認め合いました。
だから温かく語りかけます『とりあえず さようなら』

迷った時は、心の中に君がいる。
それをわかっているから、返事もいらない。

今が大好きだって躊躇などしないで言える

深海を振り返る事ではなく、彼が生きるべきは『今』この景色と共に歌う事。

Ah はじまりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら

魂の歌、後悔の歌、優しい歌
そしてこれは最後の唄。

ここから新しい自分が始まる。悲しみはもう終わった。
自分を責め続け殻に閉じこもった彼が、勇気を出して他者に唄い始めた優しい歌。


この先また迷っても、二人の記憶を辿ればきっと見えてくる。これまで紡いできた沢山の思いと歌が。


互いに言葉は交わさない。
けれどいつだって支えて、君が歩ける様背中を押してあげるよ。

そんな二人の、優しい歌。


また会えるかな

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個人的にはこの歌以降、彼の紡ぐ楽曲の中に今回の様な『君』は登場していないと感じています。

『SENSE』で、長きに渡り続けた自分探しに決着をつけた彼。

[(an imitation) blood orange]で一時的に弱った彼の心は、コンサートという空間で自分の必要性を認識するという行為によって何とか自我を保っています。

そして『REFLECTION』で自分の中のモンスターと対峙し、夢と現実の可能性の中で扉を開いた。


彼が迷いながら、今も前へと歩き続けられる理由。
それはやはりHOMEツアーで体験したあの瞬間と、この唄の心情に至るまでに積み重ねた自尊心に他なりません。

だからこそこの曲は彼にとって重要であり、心が迷った際の『気持ちの預け場所』となっている出来事だと思います。


きっと誰の心にも存在する、もう一人の『君』

この記事を読んで改めて『旅立ちの唄』を聴いた時

あなたの心にも何らかのかたちで、新しい心の拠り所ができてくれれば。

また一つ、Mr.Childrenとあなたを繋げることができれば嬉しいと思っています。

Mr.Childrenはどこで深海から脱出したのか?桜井和寿が対峙していた、観念からの解放の瞬間を考察。


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