Mr.Childrenの新曲『Birthday』を聴いた。
そこで感じた、彼らが見せた一つの強さ。
家に帰り、ヘッドフォンを耳にかける。
静かな自分だけの空間で、再生ボタンを押す。
僕はまさにその瞬間、Mr.Childrenの『今』を耳にした。
小気味よく耳触りの良い、それでいて人懐っこい様なアコースティックギター。
流れる様なストリングス。あっという間にその世界に引っ張られるようなドラムのキック。
僕は聴いた瞬間すぐに感じた。
「あ…新しい。」
僕はこのBirthdayを全く事前に一音も聴くことなく、この日を迎えました。
どんな音の景色が待っているのかずっとずっと楽しみにしていて、多分涙が溢れたり心揺さぶられたりするんだろうと勝手に想像していた。
そんな想像は簡単に裏切られた。
そこにあった感情は『驚き』だけ。
ただそれだけ。
そしてこのフレーズが頭に残った。
しばらくして 気付いたんだ 本物だって
本物。
ああ、桜井さんは。辿り着いたのかな
何が本物かってことを。
Mr.Childrenが追ってきた本物
夢とか希望とか君とか。
Mr.Childrenの音楽に触れていると、よく耳に入ってくるフレーズがある。
常に聴き手を意識していた彼らは『僕』や『君』を対象に、自分自身の音として想像しやすいフレーズを届けてくれ、その音は自分の物語になっていた。
その中で、ごくたまに聴くこの言葉。
本物
何度か触れられてきたこの言葉。
ステッカーにして貼られた本物の印
だけど そう主張している方がニセモノに見える
人間は誰しもが本物を求めていて、自分こそは偽物ではありたくないと願う。
抽象的な概念であるにもかかわらず、人は何かになろうとする。
自分こそは誰かの真似事の人生ではなく、『本物』というオリジナリティを持った存在でありたいと願う。だから自分自身も周りに揃える物も、全てにおいて本物を求める。
何が本物であるかは誰にもわからないし、皆がそうなりたいという共同幻想の中でホンモノ探しに躍起になり、もがき苦しむ。
その中で他人と比べ、皆が定義したある種作られた本物像の中で『自分』を生きる。
ああ、本物ってなんだろう。
その中で桜井さんは言葉をこぼした。
どうやら自分の中の本物に行き着いたようだ。
本物を探す
言ってしまえば僕らなんか似せて作ったマガイモノです。
すぐにそれと見破られぬように上げ底して暮らしています
自分が作られた代替えの存在でなく、オンリーワンでありたい。
だけどそれは難しく、常に自分に対して自問自答して生きて行く毎日。
人々の希望の虚像として聴き手に音楽を届けてきた彼も、幾度となく目の前を見失い信じる物を掴めなくなった事がある。
消費され、虚像として全てを受け入れる。
だからこそ僕らはその姿を見て自分に重ね、彼もその壁を何度も乗り越えてきた。
桜井さんが悟った本物を探すヒントとして、僕は一つの作品に注目しました。
(an imitation) blood orange
このアルバムは東日本大震災の影響を受けた、桜井さんの弱音や辛さ。
そして前に進む希望を放った作品。
一見明るい曲が並ぶアルバムの印象を受けますが、このアルバムは震災により表現者として傷ついた桜井さんの辛さや願いが如実に描かれているアルバムです。
戯言、張りぼて、イミテーション(まがい物)、戯けた姿(お道化た)、懐疑的、虚言癖、嘘を探してる、
作中で出てくる本物とは逆の言葉の数々。
作品のタイトルからもわかりますが、この作品で桜井さんは自分をまがい物(イミテーション)でも良いから聴き手の気持ちに希望を届けたいと唄っています。
実態の無い虚像ができること。
震災で音楽という文化の意味を問われた時、彼は大きく悩んでいました。
自分の力なんて所詮ちっぽけであり、意味を成さない。
この作品の考察はこちらで詳しくしています。
当然ですが桜井さんも我々と同じ一人の人間であり、本物に対して希望や願いを持っています。
ここで
『人間は自身が弱っている時には、本物である存在を強く求める』
という仮説を立ててみます。
いつか描いたやつより 本物にしよう
その仮説から、僕が導き出した『彼が見た本物』の一つの答え。
それは『今』です。
今こそが本物
時間は残酷 もう魔法は解けてしまった
過去ばかりが綺麗に見える 現在(いま)がまた散らかっていく
桜井さんは別に何かを手に入れたわけではないと思うんです。
特別なフレーズが浮かんできたとか、演奏技術が上がったとか、すごく良い作品を生み出せたとか。
自分の『今』に自信が持てているんだと思うんですよね。
皆さんに聞いてみます。自分が弱っている時ってどんな気持ちですか?
「昔だったらこうできたのに…」
「きっといつかできているはず」
こんな風に思う事ありません?僕はよく思ってますね。笑
自分が弱くて辛い現状から目を背ける為に、過去や遠い未来の事を考えたりしませんか?
要するに『今』から逃避してるんです。
『今』は過去の積み重ねであり、これからの未来をつくる要素です。
つまり『今』が無い人はいつまでも過去に縛られて、未来を見出せない。
病気をするまでの桜井さんはいつまでも深海期の自分を取り戻すのに必死でしたよね。
過去ばかり見ている人間は弱さを抱えています。
大切な事は復讐する事では無く、今を認める事。
じゃあ桜井さんが見つけた『今』ってなんでしょうか?
僕は『Against All GRAVITY』で表現した自信と強さだと思うんですよね。
聴き手の為に唄うことをやめて、自身の存在を証明する為に走ったこの1年間。
Mr.Childrenで在る事をただ真っすぐに表現し、全ての力を注いだような熱量のパフォーマンス。
自分たちに残された時間を感じ、生きる事を切実に聴き手へ伝えた刹那的な表現は、これまでのどのMr.Childrenよりも輝いていました。
聴き手と音楽との関係性、変わっていく音楽業界、数々のアーティストが入れ替わっては消えて行く厳しい世界
音楽というツールの持つ意味を問われている今だからこそ、変化球では無くど真ん中へ直球を投じた。
それが聴き手に受け入れられた時、Mr.Childrenという音楽に自信を持つ事ができた。
これこそが、何より今の彼をつくる強さだと思います。
君にだって二つのちっちゃな牙があって
1つは過去 1つは未来に 噛みつけばいい
歴史を学ぶより 解き明かさなくちゃな
逃げも隠れもできぬ今を
彼は過去を振り返るでも、いつ来なくなるかも知れない未来を望むでもない
ただただ『今』を生きたんです。
だから新しい自分に常に出会う事ができる。
強くなって生まれ変わり続ける自分を感じることが出来る。
Mr.ChildrenはAgainst All GRAVITYで『Prelude』という曲を演奏しました。
この曲は『SENSE』というアルバムで過去のMr.Childrenを総括し、これからも希望の音楽を提示していくという楽曲です。
その冒頭で彼はこう会場に伝えます。
いつもこのステージの上に立って思ってる事
音楽っていう乗り物にここにいる皆を乗せて
哀しみや寂しさや退屈から出来るだけ遠い場所に連れて行きたいと そう願ってます
ライブ作品Mr.Children Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY”桜井和寿MCより引用
僕たちが抱えている弱さから、希望を見せてくれる虚像。
Mr.Childrenはいつだって僕たちの弱さを取り除き、力をくれる存在ですよね。
そして間奏で僕らにこう呼びかけます。
そう その笑顔 その声を
聴きたくて僕らやってます 僕ら生きてます 幸せです
ライブ作品Mr.Children Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY”桜井和寿MCより引用
自分が生きているという強い実感。
これは今が充実しているからこそ出る言葉です。
こんなにも直接的にも自己の現状表現をする事って、曲中に限れば桜井さんの言葉の中でも珍しいと感じました。
それほどにこのAgainst All GRAVITYというタームは力強く、今を生きる生命力に満ちた物になっています。
時間が猛スピードで僕を追い越していった
意味もなく走ってた いつだって必死だったな
皮膚呼吸して 無我夢中で 体中に取り入れた
微かな酸素が 今の僕を作ってる そう信じてる
桜井さんは時間のしがらみや、過去と未来に囚われる事をやめたんだと思います。
今だけを見つめた先に、きっと本当の自分がいる。
だからそんな輝きを放った瞬間、人は誰かの本物になれるのではないでしょうか。
そんなMr.Childrenの今が詰まった新曲、birthday。
自分の今を重ねて、これから大切に聴いていけたらと思います。
皆さんはこの曲に、どんな『今』を重ねますか?
https://www.housework-kuma.com/mr-children-is-home https://www.housework-kuma.com/mr-children-thara
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