「Atomic Heart」
ミスチル現象の始まりを飾ったこの作品。
これまで340万枚を売り上げ、彼らのアルバム作品としては現時点で最高を記録している。
売上的にも象徴的にも、メガヒットアルバムの名がふさわしい。
僕はこのAtomic Heartに微かな狂気を感じる。
一人の人間が狂気に足を踏み入れる姿が、この作品には収められている。
「Atomic Heart」が放つ狂気
このアルバムは前作「Versus」から1年という短いスパンでリリースされたものだ。
僕は彼らの活動をヒット前、そしてヒット後という形で無意識に考えてしまっていた。
そういった凝り固まったイメージから離れ、純粋に初期作品を聴き直そうとしたきっかけを前回の記事に書いた。
そこで改めて感じた、この「Versus」から「Atomic Heart」における変化。
桜井和寿は初期作品で表現していたロマンチズムやセンチメンタリズムを一度無くし、社会性や精神性に重きを置いた表現にシフトしている。
自分を打ち砕くリアルなものは
偽りだと目を伏せてた 孤独な Teenage
誰かが定めた自分を演じてる Another Mind
身動きもできない程に 抱えたプレッシャーはシュール
流されるのも慣らされて たどり着けばいつも Oh No
自然な流れなのかもしれないが「Versus」に収録されている「Another Mind」の歌詞に、その片鱗が表れている。
彼自身にスター願望があるにしろ、それは願いではなく1年のうちに稼業となる。
彼が自ら変わったのか、変えられたのか、変わるしかなかったのか僕には知る由もないが、とにかく前作からの表現における変貌ぶりが凄い。
その心の扉を開き才能を開花させたのはもちろんプロデューサーである小林武史。
精神論を用いながら、自身が得意である「それでも前を向いていかなくちゃ」というイメージを形にするプロデュース力が、音楽ファンのみならず当時の国民に刺さったのだろう。
こうして彼らは虚像となり、人々は歌の中に自身の願いや希望を重ねていった。
そして産み落とされたモンスターアルバム「Atomic Heart」
1曲目を飾る「Printing」~「Dance Dance Dance」「ラヴ コネクション」では、甘酸っぱい恋の景色や、男女の未来を想像させる余白などは存在しない。
規則正しく機械的に鳴るプリント音、これまでとは全く違う世界の入り口が開く。
欲望、自由、夢、マニュアル、エクスタシー。
一つかじ取りが違っていれば、渋谷系とカテゴライズされていた音楽性の路線を歩んでいたであろう彼ら。しかし進んだ道はそんなラブ・ソングが流れる様な道ではなかった。
ポップという意味では同じだが、彼らが選んだポップはより大衆に望まれたポップ・ミュージックであり、鬱屈とした気持ちやエゴを満たしてくれるような開放的な音楽だった。
90年代の邦楽において顕著だったのは、ロッキング・オン・ジャパンなどでよくありがちな「音楽と自分」を紐づける様なストーリーだ。
作曲方法や機材の話など音楽自体ではなく、生い立ちや人格から精神性やアイデンティティを掘り起こし、音楽へと還元していく。
そうすることで楽曲に新たな意味や深みを持たせ、聴き手の想像できる世界が広がるという手法。
2015年に小林武史が「THE LAST」でスガシカオのプロデュースを手掛けた際に「曲単体の力で勝負するのではなく、この曲(アストライド)の前日譚を書くことが必要」という促しをしている。
このようにアーティストの内面を引き出すことが得意な小林武史が、桜井和寿の人間性や精神性を掘り起こし、ストーリーに紐づけるという手法を取っていた様は、想像に難くない。
この当時のMr.Childrenは、本人の発言や精神性に対して過度に期待や信頼を持たれる様な虚像として存在し、大衆に消費される。
そういったものを受け入れながら、もう一人の自分の存在はどんどん加速し、肥大していく。
それはある意味、一人の人間が無数のエゴによって姿を変えていく瞬間であり、狂気すら感じる。
こういった環境やストーリーがまた音楽に肉付けされていき、一人歩きしていく。
音楽というツールを通して、一人の人間がここまで変わってしまう感傷や狂気とも取れる感情が、このアルバム「Atomic Heart」にはパッケージングされている。
後に発表される「深海」こそ狂気を感じるという声は多い。
確かに内なる狂気を絶望の中に表現した作品だが、あの「深海」は常軌を逸した状態に慣れ切ってしまった人間が描く物語だからこそ、フィクション作品として捉える事ができる。
意図的に内省的な物を表現する行為にこそが、何よりシュールレアリズムを感じる。
だからこそ聴き手は、物語や映画の様な多幸感やカタルシスを感じる事ができる。
人はいつもないものねだり 崩れ去ってやっと気付く幸福
夢は一歩踏み外せば虚像さ 今になって思い知らされてる
心の何処かに 今でも潜んでいる
‘狂った果実’が
蜃気楼を掴むように、彼の心はもう一人の自分と対峙していく。
それは「Another Mind」という一人の人間の心の叫びが、ただ「innocent world」という大衆を巻き込んだ願いの歌に姿を変えただけだ。
「Atomic Heart」が持つ切なさ
だから僕は「Atomic Heart」に収録されているこの「innocent world」を、普通の面持ちで聴くことができない。
彼らのアンセムとして、ライブで多くの人を笑顔にする楽曲であり、僕も曲単体で聴けば漏れなくそのうちの一人であることは間違いない。
けれどこのアルバムに収録されていことで、メロディの親しみやすさや華やかな階段を上がるイメージを持ったサウンドは、哀愁や切なさに姿を変える。
止める事の出来ない淀みと流れの中で、一人の人間がもがきながら笑顔を見せる姿が、苦しい。
画面を通してこちらに歌いかける彼は、一度も笑っていない。
このPVでは、白いレインコートで目を隠し叫ぶ姿、黒い衣装で一人ギターを奏でる姿、そしてサングラスをしてバンドで歌っている姿、3人の桜井和寿が描かれている。
白黒で一人の人間の存在が対比されているのは言うまでもない。
その中間にバンドで歌う姿の桜井和寿は、自身とメンバーと僕ら聴き手、全てが認識できる「希望の虚像」としてのイメージだろうか。
PVに映る人々や、せわしない街の風景。
顕著な疲弊した現代人のために必要な歌として、この「innocent world」大衆に愛されていった。
そんな一人の人間の変わっていく瞬間、人々の心の叫びや願い、自我の開放を象徴したようなこの「innocent world」のCDジャケットは、個人的に邦楽史に残る傑作だと思っている。
「CROSS ROAD」を製作する際に、100万枚セールスできるような作品を作るという思いで臨んだ彼ら。
思えば「メインストリートに行こう」と彼女を誘う無邪気な青年を演じながら、既に音楽界のど真ん中を進んでいく決意は固まっていたのかもしれない。
個人的にこのアルバムは、恋愛を主題に据えた楽曲が無いと個人的に思っている。
科学的な目というと大げさかもしれないけど、たとえば人を愛する気持ちというのはどういうことなんだろうとか、(中略)全体の切ない気持ちというよりも、局部局部に視点を持っていって考えていて
雑誌 R&R NewsMaker 1994年5月号 桜井和寿発言より引用
桜井和寿は雑誌でこの様に発言している。
つまりこの作品においては、愛だの恋だのという広義のマインド的な部分を語る考えは無く、細かなディティールや冷静に突き詰めた考えを描いている。
「クラスメイト」も歌詞を見ると一見男女の切ない恋愛を描いた様に見えるが、その表現は恋愛感情を赤裸々に伝えようとするものでない。
どちらかと言えば迷いや後悔、過ち、そして日々に流される自身を哀愁を持って描いている様子がしっくりくる。主観的ではなく、どこか一歩引きながら街の中で自信を憂う主人公。
歌詞の最後の方で主人公が彼女をベランダから見送る様な俯瞰した描写があるが、その主人公たちの状況自体を書き手が俯瞰しているイメージだ。
そう考えると面白くなってくるのが、もう一つの恋愛楽曲である「Over」だ。
こちらも描写として完全に恋愛の楽曲に見えるが、果たして自己解放や精神性をテーマに用いたこの作品の中で、最後の1曲だけ完全に恋愛をテーマとした楽曲を据えるだろうか?
商業的にも恋愛要素を排除する訳にもいかず、最後に収録した楽曲の中に、彼が小さな願いを込めたのではないか。
僕はこの楽曲についての仮説として、もう一人の自身にあてたメッセージでもあると考察したい。
つまり「innocent world」と同じ立ち位置という事だ。
この「Over」には所謂恋愛の終わりを表すゲームオーバーと、「ここを超えていかなくちゃ」というダブルミーニングの意味がある。
そこで注目すべきなのは、この二つの歌詞
いつか街で偶然出会っても 今以上に綺麗になってないで
多分僕は忘れてしまうだろう その温もりを
愛しき人よ さよなら
何も語らない君の瞳も いつか思い出となる
言葉にならない悲しみのトンネルを さぁくぐり抜けよう
「innocent world」でまたどこかで会えるといいなと別れた、もう一人の自分。
そんな愛するべき昔の自分と再会するころには、自分は違う世界にいる(虚像としてスター稼業を背負う)人間であり、愛する人と本当の意味ではもう会えない。
だけどここを超えていかなければいけない。君を思い出にしてでも、進むべき道がある。
「innocent world」で君と抱き合っていた黄昏と、「Over」で君の事を考えていた夕焼けは、彼の中でどこか繋がっているのではないだろうか。
「Atomic Heart」が持つ狂気と切なさは、僕にそんな想像をさせてくれる。
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