Aesopのハンドクリームを使い始めたのは、かれこれ3年前から。
ハンドクリームなんて何でもいいと思っていた僕が、このAesopのハンドクリームを使っているのには訳がある。
それは、自分の手を気遣う習慣をつけてくれた事だ。
Aesopのハンドクリーム
僕がAesopの製品で初めて使用したのは、このハンドクリーム。
独特な質感のパッケージに入っていて、すぐに折りや傷跡がつく。
だけど、持っていてどこか心地よい。
価格は3,080円。
僕が今まで使用していたドラッグストアでカゴ盛りにされている様なハンドクリームの3~4倍だ。
どうしてそんなに高いのか。たかがハンドクリームだ、塗れさえすれば良い。
そんな僕に知人がプレゼントしてくれたので、初めて使ってみた。
価格の錯覚なのか、ハンドクリームに感じた事のない香りのせいか、手肌に馴染む気がした。
プラスチックのパッケージにありがちなビニールの様な手触りでなく、ツルツルしている。
しかし、自分が使うほどにその証が残っていく。
僕は初めの頃、なるべくこの跡が残らない様にそっと使っていた。
大切に大切に、キレイなままで保つために。
けれど今では、この跡がついていく事がなんとなく嬉しい。
自分の手を観察する
僕がAesopのハンドクリームを使い始めた秋から少し経って、寒い冬が来た。
当時の僕はイノシシが出るような、関西にある山の駅に住んでいた。
そこである日、駅のベンチに座っている男性の姿を見た。
彼の見た目から推測するに、どことなく北欧地方の方の様な姿をしていた。
12月の寒い冬景色がよく似合っていた。
その男性が電車を待ちながら、自分の手を丁寧にすり合わせている。
ハンドクリームを塗っているのか、指の1本1本まで丁寧に観察しながらケアをしていた。
そしてその手の様子を、じっと眺めていた。
細かそうという印象は受けない、どこかあたたかな仕草。
ハンドクリームなんて簡単に手を合わせて塗ればいいと思っていた僕にとって、丁寧に自分の体の一部をケアする男性の姿は印象に残った。
自分をケアするという事は、自分の現状に気付くことだ。
忙しければ手荒れを起こしているかもしれない。
栄養が行き届いていなければ、きっと手はカサついている。
ストレスが溜まっていれば、指や爪に表れる人もいるかもしれない。
爪の長さや逆剥けに気付かず、日々過ごしている人も多い。
そんな今の自分を表してくれるのが「手」であり、そこをケアする事が大切という事を僕は考え始めた。
つまり自分の手の状態に気付いてあげられる時は、精神的に余裕があるときだ。
自分の事を気遣い、ケアできる様な毎日。
逆に余裕が無い時も、手が荒れていく。心も荒れていくように。
自分の小さなサインを、手で気付ける。
僕はそんな日々を送りたいと思った。
Aesopのハンドクリームを使う日々
ドラッグストアのハンドクリームが悪い訳ではない。
Aesopを使うようになってからも、色々使ってみてお気に入りの物を見つけたりする。
定番で使用しているのはクナイプかヤエトコだ。
柑橘系やハーバル系の香りが好きな僕にとって、これらを使う時間は癒しにもなる。
妻にもヤエトコの家族ハンドクリームをプレゼントしたが、香りも優しくすっきりしてパッケージもかわいかったので、気に入って使ってくれていた。
以前ロードバイクでしまなみ海道に行った際、このヤエトコに出会った。
ヤエトコはハンドクリームの他にも、バームやエッセンシャルオイルなどを販売している。
全体的にかわいらしいロゴデザインで、組み合わせてギフトにも最適だ。
けれどAesopのハンドクリームは使い心地だけでなく、他のハンドクリームとは買う前から少しだけ違う点がある。
それは手にするまでの不便さと心地よさだ。
ドラッグストアはどこにでもある。
仕事帰りによって、レジが混むのでいつもの物を選んでパッと購入し、レジ袋に入れて帰る。
しかしAesopのハンドクリームを手にする際は、少し違う。
僕にとってAesopでハンドクリームを買う事は、生活のなかの「わざわざ」だ。
わざわざ店舗に行き店員の方と話をして、自分の生活や目的を話したりする。
その中で違う商品に出会う事もあれば、新しい生活の発見をすることもある。
購入し、優しいコットン性のショッパーにフレグランスをかけてもらう。
また今日から、自分の手をきちんと見てあげられる様な生活がしたいと、少し前向きになれる。
わざわざ自分の体の事を考え、そんな体験ができる所ちょっとの面倒が「粋」だと思っている
もちろん必要なモノだけパッと買いたいという方は、ネットでも手に入る。
この方が合理的だ。
だけど簡単に手に入れた物と、自分の思いが入った行動や考えが投影されたモノは少し異なる。やはり思いが入ったモノは、大事にしたくなる。
僕はAesopのハンドクリームを使い初めの頃、高くてパッケージもすぐに跡がつく事から、大切にそっと使っていた。
けれど今は違う。
この跡がついていくのが楽しみだからだ。
人が使う度に、新しい跡がついていく。それはちょっとした人生の跡でもあり、日々自分の事を気遣ってきた証でもある。
疲れた時にその跡を見ては、自分を見つめ直したり気遣ったりできる。
実際手をケアする様になってからは、誰かにもほんのすこしだけ優しくなれた気がする。
自分を気遣えるという事は、相手も気遣える少しの余裕が、あるということ。
高いから、貴重だからと言って、モノを使用しないようでは意味が無い。それは宝の持ち腐れだ。
モノは使って効果を最大限に発揮してこそ、生活の中で意味がある。
だから僕は大切に、けれど信頼をおくモノに積極的に頼っている。
僕は自分をケアする道具として、そんなすこしの拘りを込めてこのハンドクリームを使っている。
今日も自分に気づける心地よさを、手と気持ちに丁寧に馴染ませていきたい。
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