ミニマリスト
モノの所有を必要最小限に抑え、自分の満足する効率的な生き方を送る人々。
日本でのミニマリズム火付け役となったミニマリスト しぶさん。
彼の『持たない暮らし』や『より少なくより考える』という考え方は、今や多くの人に広まっている。
けれどそんな中、僕が考えた答えはミニマリストではなく『シンプリスト』だった。
なぜ僕がなぜシンプリストでありたいかを、今日は紹介する。
ミニマリストへの違和感
僕は以前に、こんな記事を書いた。
ミニマリストに対する、僕なりの考えを書いたものだった。
僕個人は不必要な物をそぎ落とすという考えが強い人間なので、ミニマリストに共感している部分もあるし、全否定する訳ではない。
一見無欲に見える彼らも、強い欲求があるのではないか?という考察。
記事の内容も僕なりに彼らの生き方を解釈し、執筆した。
そんな中で僕がミニマリストではなく、シンプリストでありたいという理由。
それは、自分に正直でありたいという考えからだ。
僕個人の考え方として極端な思考や生き方に走る人間は、何かしら心に弱さを抱えているという風に思っている。
所謂コンプレックスであったり、何かに依存している心。
例えばミニマリストの方はモノを減らす。
自分が望む時間、やりたい事、生き方になる為にモノを捨てていく。
けれどあんなにバッサリと捨てて、ポツンとした部屋に必要最低限の物を残して生活をしていて楽しいのか?と僕は思ってしまう。
物を増やすという生き方から
物を無くすという生き方に変わっただけ。
自分をミニマリストとという分類をした時から、そこに執着してしまっている気がしてならない。
きっとそれが正しい生き方だから、それが効率よく生きられるから、良い人生になるから、と。
極端に強い行動や変化をする人は、何かに対して執着している事が多い。
自然な変化をすることができない為だ。
物事や生き方において、自分の芯を持ちながらしなやかに進む方向を定められる人こそ、本当の強さを持っていると僕は思っている。
モノで溢れていた物質依存の生き方から、モノに執着しない生き方に。
『モノに執着しない生き方』という考えに執着する様になる。
モノに執着しないはずなのに『ミニマリストの持ち物』や『モノを減らした僕の生活』と発信する姿。
彼らは結局のところ承認欲求が強いんだと思っている。
物質的に執着しないはずなのに、自分の所有するモノは良い、センスがいい、効率的だと思ってほしい。
そんな心理欲求が強いのでは?という内容を、以前の記事で考察した。
例えばベジタリアンやヴィーガンの方は「肉は食べない。肉の代わりに」と言って別の代用品の食べ物を挙げたりする事が多い。
肉の代わりって何なのだろうか?肉は肉であって他のもので代用はできない。
どうして代替品をたてる必要があるのだろうか?
肉の匂いや形や食感、満足感を得られる様な物を食べたいのではないか?
それなら、肉を食べればよい。
何かに執着したり物事の考え方に偏りがある人は、どこかに弱さや願望がある。
それを一貫性のある行動や生き方をして、自分を保っている。
本当に何かを極めている人は違うのかもしれませんが、多くの人は模倣だ。所謂自分を見せる為のファッション。何かを我慢して、ほかの何かで自分の欲求を満たしていると思う。
それは、どこか自然ではないような。そんな印象を持っていた。
僕もミニマリストかもしれない
けれど彼らの考える事はすごくわかるし、共感する。
僕もミニマリストかマキシマリスト(物を多く所有し満足感を得る人々)かどちらかと言われたら、考え方はミニマリストに近いのかもしれない。
・整理整頓が好き
・余計なものはいらない(モノ、時間、人間関係)
・部屋は整然としていたい
・効率よく生きていきたい
・物欲に溺れた生き方は愚かだと思っている
実際に共感する部分が多かった。
けれどあそこまで極端に、部屋のモノを少なくして生活する事はできない。
その理由として
僕は好きな事が多かった。
音楽、映画、ガジェット、自転車、インテリア(収納)…
全て僕の生活には無くてはならないモノ。
これらが無ければ、僕は人生に対し生きている意味を見出せなくなるかもしれない。
このクマログでは楽しい事や感じたことについて紹介したり、思いを文章で綴ってきた。
ミニマリストは自分の望むものを最大化する為に、それ以外のものを最小化するという考えだ。
自分が最大化したいもの以外は、彼らにとってはコストでしかない。
僕はその生き方はできなかった。
これは個人の考えだが、この考え方で僕は楽しく生きることはできない。
彼らにとってはそれがとても楽しい生き方かもしれないが、僕はこれでは毎日笑えないと感じていた。
自分に必要ない物や考えは全て不必要であり、邪魔な物。不要な物。
そのある種、洗練された超合理主義的な考え。
僕も、もしかしたらミニマリストかもしれない。そう思う点はいくつもあった。
けれどこの部分の考え方が、僕には吸収できなかった。
モノに執着せず、自分とモノを語りたい
何でも自分の目的に対してコストやら最大化やら無駄と言って、物事を選別する事は僕にはできなかった。
効率化、コストパフォーマンス、満足感…
そんな言葉だけをを追い求めて楽しいのかと、僕は思ってしまう。
何事も流れや過程、思いや経験が大切だと僕は思っている。
最大限の結果が保障されきった人生や時間は、退屈だと感じる。
舗装されて何も苦しくない道を登頂する登山が楽しいだろうか?
行く場所が決まっていてガイドブックで調べ上げた場所を旅行する旅路が楽しいだろうか?
面白い結末がわかっている本や映画を見て心躍るだろうか?
僕はしない。
自分の人生を思い通りにするために、それ以外の物をバッサリ切り捨てる意思はない。
だから僕は自分の生き方に対してもモノに対しても、愛着を持ってストーリーを語れる日々を過ごしたいと思った。
そんな中で出会ったのはシンプリストという言葉。
シンプリズムというのは簡単に言うと
『モノの数にこだわらず、暮らしの要素を単純化しながら、自分の理想の時間や暮らしを送る』
そんな考え方の事。
無理なく、自分の満足するモノを愛着を持って所持する。
そして暮らしの工程を簡略化し、自分が欲しい時間やモノに囲まれて生活をする。
とても素敵な考え方だと感じる。
僕がシンプリストに共感した三つのポイント
最低限と必要は違う
もちろん必要ない物は、持つ必要はないと思う。
だから自分に本当に必要なモノを見極める力が必要だと考える。
ここの部分は、ミニマリストと同じ考え方。
だけど、ここからが違う点。
自分がワクワクしたり良いと思えるモノであれば、積極的に持って使う事。
仕事のモノ、趣味のモノ、思い出があるモノ。
自分が良いと思うモノは、自分の人生を豊かにしてくれる。
日々の時間を輝かせてくれ、自分の生き方に自信を持たせてくれる。
僕でいえば趣味のモノがこれにあたるのだろう。
音楽のCD、ヘッドフォン、映画のDVD、プロジェクター…
全てのモノに思い出がありますし、好きなモノと繋がりを持てている時間は本当に幸せだ。
その時間こそに生きている意味があると感じますし、生きる活力として必要なモノたちだ。
だから自分の好きなモノはしっかり所持すべきだと、僕は思っている。
モノに愛情を持つ
そしてモノを所持しているのであれば、長く使える様に愛情を注ぐ。
目的の為にモノがあるのではなく、そのモノに関わっている時間や思い出こそが大切だと思う。
だから、自分の好きなモノに愛情を持つ。手入れをして、大切に使う。
モノは最短距離で目的を果たす手段ではなく、使用して過程や経年の変化を楽しむもの。
そこで育んだ愛情こそがモノと自分の価値を高めて、より良い時間や日々を送ることができると思う。
僕は自転車が好きです。もう購入してから10年は乗っている。
少しずつ修理をしたりパーツを付け替えたり、日々手入れをしたり…
様々な場所を訪れ、走り、多くの時間を過ごした。
だから僕は自分の自転車が好きだ。
どんなに高くて性能が良い自転車より、この自転車をこれからも大事に乗っていきたい。
モノに愛情を持つことは、とても誇らしい事だ。
所持している理由が言えるか
決してモノに依存するのではなく、そのモノを所持している目的がはっきりしているか。
これも大事なポイント。
高かったから…皆が良いって言っているから…
これは自分の理由ではなく、他人がつけた理由や価値でモノを所持している状態。
この理由によりモノを増やしていくと、結局自分が後悔してモノに依存しモノに使われる人間になってしまう。
なぜ自分はこのモノを持っているのか。
モノと自分の間にどんなストーリーがあるか。
これが話せないのであれば、アナタはモノを手放すべきなのかもしれない。
このバックパックの機能性にほれ込んで、最大限に使い倒している
この本の考え方に共感して、生き方が変わった
自分で初めて買った、大好きなアーティストのCD
この映画作品を観る度に、大切な事を思い出す
他人からの意見や価値ではなく、自分とモノのストーリーを話せるか。
自分がどれだけそのモノの価値を知っているか。
そんな風に持っているモノとその人の話は、きっと素敵で聞きたくなるだろう。
僕はシンプリストでありたい
だから僕は自分に必要な物の選別を真摯に行いつつ、自分にとって価値を感じる魅力的なモノを所持していく。
そして豊かな時間を過ごせるよう、さらに自分の生活をシンプルに見直していく。
それが僕の人生を豊かにしてくれ、新しいモノとの出会いをもたらしてくれると考えている。
モノは最低限でも毎日は生きていける
だけどそんな日々をもっと自分好みに楽しく過ごせるために、僕は自分の好きなモノを持ちたい。
情報に流されない、自分の芯を持つ、自分だけの価値観を育てる
そうやって一つずつ、自分の好きなモノを増やしていきたいと思っている。
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