こんにちは、kumaです。
以前のMr.children記事で
次回は『POP再検証の果て編』でお会いできたら、と思います。
みたいな感じで今回締めに入ろうとしましたが
書き始めたらボリューム凄すぎて全然締まる気配ねえ
アルバム一枚ごとに思いや考え強すぎて無理でした。笑
と、いう訳で。
『Mr.Childrenが好きなら絶対知ってほしい。
彼らのPOPミュージックへの挑戦 シフクノオト編』
いってみましょう!
『シフクノオト』
01. 言わせてみてぇもんだ
02. PADDLE
03. 掌
04. くるみ
05. 花言葉
06. Pink~奇妙な夢
07. 血の管
08. 空風の帰り道
09. Any
10. 天頂バス
11. タガタメ
12. HERO
奇跡の一夜を終えて
あの奇跡の一夜からしばらく経ち、彼らは新たなるスタートを切ろうとしていました。
桜井さんは新たなるスタートを切るため、デモテープを作りこんでいました。
しかしなかなか動き出しません。
理由はJENがストップをかけていたからです。
前作『IT’S A WONDERFUL WORLD』では10周年のアニバーサリーイヤーという事でアルバム制作やツアーが組まれたり、精神的にも緊張感のあるタームでした。
そもそもMr.Childrenが長期的に活動を行っていくためには、もう少し緩やかなペースでも良いのでは?という気持ちからの休養希望でした。
そんなJENを動かしたのは、桜井さんが作りこんでメンバーに送ったデモのMDカセット。
1枚目はなんとかスルーしたJENでしたが、2枚目も送られてきたプレッシャーを感じ重い腰を上げました。
JENは誰もが認める明るいムードメーカーですが、センシティブな一面を見せる事も多くあります。
雑誌のインタビューで桜井さんは2度に渡り、この出来事に言及しています。
話し合いが何度か繰り返され、言い合って終わってしまう事もあったそうです。
この二人の関係性があるからこその前向きな衝突、そして愛とちょっとの恨みが伝わってくるエピソードです。
『シフクノオト』を探して
なんといってもJENを動かしたきっかけの一つはデモ1曲目の『言わせてみてぇもんだ』
この楽曲は『シフクノオト』の1曲目に採用されています。
「鈴木くんにあてた一曲」と桜井さんの言う様に、愛と少しの皮肉の効いたスパイスのある楽曲に仕上がっています。
因みに私は田原さんのギターソロが凄く好きです。
そんな『シフクノオト』
前作『IT’S A WONDERFUL WORLD』の様に大きなコンセプトやテーマがある訳ではありません。
桜井さんは様々なアーティストが曲を持ち寄ったオムニバス形式の様なアルバムにしたかったと述べており、その楽曲はバラエティに富んでいます。
そして表現者が壇上から物を言う姿勢ではなく、一人の生活者としての考えや思いが一つひとつの楽曲に込められています。
朝起きて晴れているという、何気ないことが単純に気持ちいい。
電車で人々が聴いている音楽の様な、寄り添った存在になりたい。
これだけ大きな存在となったMr.Childrenがミニマムな音像を表現することが、POPミュージックの在り方を考える活動姿勢を表しています。
ミスチル現象と言われた、自分たちなりのPOPミュージックを『目指して』いた90年代中期。
一つの角度から見れば頂点に上り詰めた様に見えますが、本人たちはそこから自分たちの音楽に『追われる』様になっていきました。
CDが売れる時代にまぐれ当たりをした存在という負い目。その後ろめたさからくる音楽への罪悪感。
それを必死で振り払おうとしていた『DISCOVERY』での活動再開。
巨大化した『Mr.Children』という虚構を冷徹に見つめ直し、受け入れたものを新たな力に替えて人々に伝えていく作業。
私服の想いをのせた曲たち
『掌』
人間同士の繫がりたいという気持ちと、相反してしまう苦しみが描かれたこの楽曲。
自分の価値観は相手にとってみれば全く逆かもしれない。
皆が違って当然で、交わらない物を無理矢理掌を合わせる事はしない。
開いた掌は相手を殴る武器にもなり、手を添えて撫でる優しさにもなります。
それぞれの価値観や信じる物を持ち、他者の存在を認め合う。
ミニマムな視点に立ち返る事ができたからこそ、見える大局的な真理。
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて 認め合うことができるから
ひとつにならなくていいよ 価値観も理念も宗教もさ
ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから
それで素晴らしい
この曲は『認める』という事がテーマになっています。
拒絶するでも、一つになるでもない。
キスしながら唾を吐いて 舐めるつもりが噛みついて
着せたつもりが引き裂いて また愛求める
ひとつにならなくていいよ 認め合えばそれでいいよ
それだけが僕らの前の 暗闇を優しく散らして
光を降らして与えてくれる
他者を認める事こそが自身を闇の中から救える手段と唄っており、過去の自分との対比からインスパイアされた物を感じます。
『くるみ』
ねぇ くるみ この街の景色は君の目にどう映るの?
今の僕はどう見えるの?
『くるみ』という実際にはいない架空の人物を歌う。
「虚像=自分」にあてはめています。
虚像を歌う事で自分を客観視し、辛さを消化しようとする。
自分の存在をあえて物語にする事で、前に進む気持ちやきっかけを自らに与えようとしています。
ねぇ くるみ あれからは一度も涙は流してないよ
でも 本気で笑う事も少ない
自分と向き合えなかった頃より辛い事は無いという気持ちを表している
どこかで掛け違えて来て 気がつけば一つ余ったボタン
同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに
出会う事で意味ができたならいい
桜井さんが車の中で涙した、この曲で一番表したかった想い。
自分が間違っても同じような境遇の人がいれば、意味のある偶然になる。
人生はそんな希望と失望を繰り返している。
佐野元春さんとの対談で話した『何気ない人の動きを大切にしている』という気持ちの通り、小さな出来事にこそ意味や思いが詰まっている事を表してくれている様な歌詞です。
『天頂バス』
Mr.childrenでPOP再検証以降、歌詞に多く使われるこの『バスシリーズ』
歌詞の中で出てくるバスは単なる移動手段ではありません。
自分の思いが投影、又は進行する際に用いられています。
靴ひもも結ばずに駆け足で飛び出して
停留所を通過してく そのバスに飛び乗って
『靴ひも』
恋焦がれる人へ早く会いたいという比喩。
最終のバスにはまだ間に合うかなぁ 遠くの街まで君を迎えに行く
いつも笑ってた 無理してたんだな それもわかってた
『Another Story』
もう終わりを予兆させる関係性を、最終バスを用いて最後の機会として表している。
水上バスの中から僕を見つけて 観光客に混じって笑って手を振る
そんな透き通った景色を 僕の全部で守りたいと思った
『水上バス』
直接ではなくバスという物を隔てて接している描写。恋の思いが実る前という比喩の役割を担っている。
天頂バスでは以下の様な表現で、自分たちの状況を表しています。
天国行きのバスで行こうよ 揺れるぞ地に足を着けろ
己の直感と交わした約束を
果たすまできっと僕に終点などねぇぞぉ
自分たちが目指したポップミュージックに辿り着く道は険しいが、きっと間違っていない。
この使命を果たすまでは、音楽を終えることはできない。
「明日こそきっと」って戯言ぬかして
自分を変えてくれるエピソードをただ待ってる木偶の坊
自分たちの音楽や環境に慣れきってしまい、ライブで音を目の前の人に届けるよりも酒を飲む方が楽しかったあの頃。
病気が無ければ深く考える事がなかったかもしれない、この大きな気持ち。
そうしてれば 時間だけ無駄に過ぎるよ
もうすぐそば 待ってろブルーバード 今捕まえに行くぞ
本当は身近にあった、幸せを見つめ直す旅路はここから。
(歌詞にあるブルーバードとは、幸せの青い鳥を見つけにいく旅をする童話から。
旅路から帰ると自分たちのベッドの隣にあった鳥かごの中に青い鳥はいて、本当の幸せは気付かない程すぐ近くにあるという話)
トンネルを抜けると 次のトンネルの入り口で
果てしない闇も 永遠の光も ないって近頃は思う
だから「自分のせいと思わない」とか言ってないでやってみな
自分たちの歌ってきた『果てしない闇』『永遠の光』そんなわかったように吐いてきた言葉。
曲がった自己愛は捨て、目指すべき場所へ。
桜井さんは雑誌でこの曲について、次々と転調し広がっていく展開に『戻ることのできない曲』と話しています。
曲の始まりは体を揺らして軽く口ずさめる様なポップ調です。
しかし曲が進むにつれ、嵐の様な激しい道を進む主人公の叫びに変わっていきます。
この道が辛く険しい物という事を表現しています。
そして、「君もおいでよ」とリスナーを誘い込む言葉。
一緒にこのバスに乗り、目指すべき場所の景色を見てほしいという気持ちが表れていますね。
自らの音楽と向き合う
丁度このアルバムの制作途中と同じころに『ap bank』の音楽活動も本格的にスタートしていました。
彼にとってap bankでの活動は、単なる『持続可能な社会を考える環境活動』という以外に、後ろめたさを浄化させるという役割も果たしていました。
メンバー以外のミュージシャンから音楽的に刺激を受けるだけではありません。
過去に桜井さんは
CDが当たり前に売れる時代にたまたま自分たちが当たった。
その後ろめたさを引きずりながらプライベートは無くなり、歌うことが辛くなったという発言をしています。
自分が受けてきた様々な恵まれた恩恵を還元するという行為で、うまく仕事や精神的にもバランスを保つことが出来るようになっていき、音楽に対してプラスのイメージが湧きやすくなっていたのでしょう。
そしてこのアルバムではもう一つの転換点が。
「僕のライブに対するモチベーションの低さにも繋がるんだろうと思うけど。もう音楽聴けば伝わるなと思ってて。「バンドが演奏しなくても、聴きゃあわかんじゃん」っていう。そこでパフォーマンスすることが、逆にちゃんと伝わることの妨げになんなきゃいいなとも思ってる」
rockin on JAPAN 2004年04月 Vol.260 桜井和寿発言より引用
これはアルバム発売前のインタビュー。この頃はまだ自分のエゴや気負いが心の多くを占めている状態。
あの頃は自分たちの音楽をやるので精一杯で、オーディエンスに最高のパフォーマンスを見せる事がアーティストだと思っていたとラジオで話しています。
しかし後には
「ライブを楽しめるようになったのはap bankを始めたあたりから」
『重力と呼吸』アルバムインタビューでこの様な発言をしています。
つまりこのアルバムとツアーを経て本当の意味で自分を見つめなおすことができ、音楽を心から楽しめるようになったという事です。
『wonederful world on DEC 21』と『シフクノオト』ツアーの映像を見れば、その様子がよくわかると思います。
本当に別人です。
『any』での自己肯定、『HERO』で吐き出した愛する人への優しい欲求。
一人の人間として、生活者として立ち返った存在となり、今の等身大のMrChildrenを伝える事を果たしたツアー。
至福を感じる瞬間
『Sign』
届いてくれるといいな 君の分かんない所で 僕も今奏でてるよ
育たないで萎れてた 新芽みたいな音符(おもい)を
二つ重ねて鳴らすハーモニー
残された時間が僕らにはあるから 大切にしなきゃと小さく笑った
君が見せる仕草 僕を強くさせるサイン
もう何ひとつ見落とさない
そうやって暮らしていこう そんなことを考えている
この曲はアルバム完成の打ち上げで二日酔いになった後、タクシーの中で思い付いた歌です。その為アルバムには収録されていません。
その中で桜井さんは「二日酔いで何も考えられないぼーっとした頭だからこそ、無意識に浮かんだ」と話しています。
私服の様な着飾らない気持ちが、このアルバムの全てを語る優しい音となっています。
ツアーを収めたDVDの最後には、4人がバスに乗り進みだすシーンが映されています。
こうして彼らのシフクノオトを探す旅は、動き出しました。
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