ラ・ラ・ランド。
予告から恋愛描写バリバリで、TIME紙は「観る者全てが恋に落ちる」と煽る。
あんな色鮮やかな映像と心躍るような音楽を聴かされたら、だれか大切な人と観たいと思ってしまうだろう。
大切な人と観るのは良いと思うのだが、僕は恋愛的な視点でこの作品を捉えていない。
僕はこの映画を、映画と夢に恋をする作品だと考えているからだ。
映画に恋する作品
公開からかなり時間が経過している為、ネタバレありきで話をしていく。
この映画は2人の男女が夢を追い続けながら、互いに惹かれ合っていくストーリーだ。
この作品の主人公は二人の男女。ライアン・ゴズリング演じるセブとエマ・ストーン演じるミア。
セブは自身が情熱を捧げるジャズを続けながら、いつの日にか自身で店を開くことを夢見る。
一方ミアは叔母の影響で女優を目指し、オーディションに臨む日々。
しかし自分の夢を追い求めながら、恋愛も上手くいく事は残念ながら叶わない。
この映画で描かれる二人の恋は、二人の夢とトレードオフの関係になっている。
セブが言う「サンバとタパス どちらか選べ」という何気ないセリフがそれを暗示している。
恋も夢も、両方をつかみ取る事はできないのだ。
最後にセブの店で二人は静かに見つめ合い、無言で意思を交わす。その直前には、「もしも二人の関係が続いてたら」という世界が映し出される。
この店のシーンで映画は終わり、二人が最終的に共に生きる事は無かった結末に、バッドエンドや鬱エンドという声も上がるほどだ。
しかし僕はこの二人の関係性において、ハッピーエンドやバッドエンドという表現は全く当てはまらないと考える。(どちらかと問われれば、ハッピーエンドだと考えるが)
なぜなら二人は互いにではなく、自身の夢に恋をしていたからだ。
愛より夢を追う二人
ここで言う話は、相手を愛していないという事ではない。
間違いなく互いを心から大切に想い、愛している。二人は夢を見て恋に落ち、愛し合ったのだ。
しかし恋愛要素やこの二人の恋の成功を期待してこの作品を観るのは、おススメできない。
二人はハイウェイのシーンで最悪の出会いを果たす。
セブとミアがお互いにコーヒーを入れる3カットのシーンから、観客に「二人のの物語」ということが印象付けられる。(同じ場面演出なので)
しかしこの二人が決定的に異なっている点は、その人間性にある。
セブは自分で決めたことを真っすぐに表現する人間だ。
GMのビュイック・リヴィエラという燃費の悪い車に乗り、クリスマスに働いた店では自身の演奏したい曲を優先して弾きクビになる。愛してやまないジャズの話を情熱的にする。
部屋は汚くとも、自分の愛するモノを大切にして過ごす毎日。
姉に勧められた女性は容姿や性格でなく、まず「ジャズは好きか?」と尋ねる。
人からどう思われるかではなく、自分がどうしたいか、自分の意思がハッキリしている。
だから姉から定職に就くよう促されても、LAに店を持つまで自分を不死鳥と信じて疑わない。
自分の判断や好きなモノに素直で、他人からどう思われるかを恐れない。
一方のミアは女優を目指し、オーディションを受け続ける。
そんな彼女は他人からの評価が自分の価値だと勘違いしていて、誰かに指示された事を受け入れようとしてしまう。
(職場のカフェで客からドーナツの返金を要求された時、本来気の強そうな彼女が自分の意思を見せずすぐに上司の指示を聞きに行くシーンでそれは表れている)
だから初舞台を行っても、見たもの(観客数)聞いたもの(酷評)が自分の全ての価値だと落胆してしまう。
バスルームの窓ガラスに写る自分を女優さながらにうっとりと見つめ、ハリウッドセレブが乗るプリウスを運転する。実際は型落ちのプリウスで、あの車はパーティー会場で20個ほどのプリウスのキーが並んでいたように「その他大勢」のメタファーだ。
自分を成功に導いてくれる「誰か」を、常に探している(ルームメイトと歌うシーン)
彼女は常に「他人からどう見られるか」を気にして生きている。
そんな二人はハイウェイの上で中指をたて呆れ合う最悪の形で出会い、パーティで再開した。
勿論この時点では良い関係とは言えない。
「Take On Me」や「I Ran」を燻りながら演奏するセブの様子を、ミアは面白おかしく見つめ躍る。
セブが時代遅れの曲を演奏する姿を、ミアが見下している様子は明白。
セブはそれに対し「スクリーンで会おう」と苦し紛れに返す。
なぜミアは見下しているか。
それは自分が常に評価されている側だから、人を評価して自分を安心させたいからだ。自身のコンプレックスがつい対人関係に出てしまう。こんな幻想的でロマンチックな風景が臨める丘でも、彼女はお高くとまっている。
夢に恋をした二人
そんな二人が惹かれ始めるきっかけ。
それはジャズを聴いたバー、そして映画撮影のシーンを見た際だ。この両シーンで二人は互いの情熱や夢中になっている物について語る。その姿に惹かれあっていく。
外見や性格的な面で意気投合しているのなら、二人はあの著名人が集まるパーティー会場で二人は惹かれ合うだろう。あれは単に二人が存在を認知する場所に過ぎない。(丘でのダンスの美しさは別として)
二人が「理由なき反抗」のリバイバル上映を観に行く際、ミアはボーイフレンドとの会食を抜け出す。理由は簡単で、本人の情熱が無い様なつまらない世界やお金の話よりも、何かに夢中になっているセブといた方がずっと心躍るからだ。
ここでのミアはあたかも女優の様なふるまいを見せ、ハプニングや流れにただ身を任せる。
セブとの出会いにムードと夢(女優)が混ざり、想いに拍車がかかる。完全に恋に落ちる典型的な流れだが、ミアは自身の夢である「女優」を疑似体験する事で、心がときめいている。
あの最悪な出会い方をしたセブにだ。
一方のセブも、歴史の中に死にゆくジャズをミアに熱く語り、気分的に高揚する。
女性はムード、男性は内容とはよく言うが、セブは自身の夢中になっている物を相手に話すという欲求が満たされている為、ミアへの印象は自然と良い物になっていく。
自身の夢中になってくれる物を理解してくれる事は、自分を理解してくれることと同義だからだ。
この様に、二人はハイウェイの上で中指を出し呆れる最悪の初対面から、夢という情熱の力を借りて急接近した。ここまで書いているとかなり穿った見方かもしれないが、きっかけや流れは偶然にして恋に変わる。
二人が共になる要素として「自身の夢」という要素は切っても切れないポイントであり、どちらかにこの要素が無ければ二人の関係は成立しなかったと思われる。
二人はお互いに、自身の夢を満たしてくれる存在。
つまり二人は容姿や性格など好みの相性で惹かれ合ったのではなく「今の自分には叶わない夢を理解し合い、今の自分が認められる存在」だから惹かれ合ったのである。
これは何も悪い意味ではなく、人間の承認欲求からくる自然な物だ。
夢を追った結果
この映画で二人の恋愛上の結末が上手くいかない描写は、中盤にある。
二人が日々の忙しさから口論となり、ミアがアパートから出ていくシーンだ。
このシーンに至るまでに二人はすれ違い始めていて、そのストレスと余裕のなさがつい爆発してしまう。ここで二人が争うシーンは一見、相手の夢を思って真っすぐにぶつかっている様に見える。
しかし会話の内容を見ると「あなたが好きだと思っていた」などの、原因を相手に寄せる言動が目立つ。
夢と恋愛のバランスを取れなくなった二人は、自身を守るために相手の優しさに依存してしまっているのだ。人は自分に自信が無い時や余裕が無い時、他者を理由として自分を守ってしまう。
なぜ自分を守るのか?この二人の場合は、自身が追い求めている夢の正当化と、自尊心を守る為だ。
二人は未来を求める夢を持っているはずなのに、言い争う事は過去の事ばかり。
そう、セブのバンド仲間であるキースが言うように「過去に囚われている」ことは不幸なのだ。
他者や過去を理由にして、自分を守る。そんな精神的に成熟せず依存している状態は、確かに「大人になれていない」のかも知れない。
その後もすれ違いは続き、ミアの初公演である芝居にセブは間に合わなかった。
ミアは来てくれなかったセブだけに怒りをぶつけているのではない。
自分の実力(と勘違いしている)の無さや、自分は周りに認められていない(セブを含め)という事に対して、寂しさや羞恥心を感じている。
自分に価値が無いと思い、夢が叶わなかった事に対し疲れ切ってしまったのだ。
これはミアが一方的に感じてしまっている評価であって、実際はミアは演技が目に止まりその後のオーディションに呼ばれる事になる。
以前の口論の際にミアがセブに放った「あなたが人の目を気にするの?」という言葉がある。
これは、自分自身が評価と対峙し意識しているからこそ出た言葉で、ミアは周りに流されず(劇場の観客数や周りの批評)自分の価値を証明するという壁の前に、なんとか保っていたプライドが崩れてしまった。
しかしここでミアは一つ大きな成長している。
誰かに与えられた課題ではなく、自分で決めたことを一つやり遂げたのだ。
一人芝居が目にとまり、セブの説得を受け映画のオーディションに臨む。そこにはカメラやスマートフォンをいじり資料を見る審査員の仕草は無い。ここは自分が挫けた一人芝居と同じ、真っ白な舞台。
自由な表現が許された場で、彼女は初めて自分のパーソナルな部分を真っすぐに表現する。
そう、彼女は「自分がどうなりたいか」という意思を、演技ではなく心から表現して見せた。
職場の上司やオーディション審査員の様な「誰か」から指示された内容ではなく、「自分」が思うように表現をして相手に伝えた。
これは彼女にとって大きな成長の一歩であり、生き方が変わり始めた瞬間なのだ。
一人の人間の成長を映し出したこのシーンが、映画の大きなハイライトであることは間違いない。
一方のセブは自身の夢を諦め、ミアとの将来を優先した。
何もかも自分の決めた通りにやらないと気が済まないあのセブがだ。
これは単に夢を諦め挫折したのではなく、彼もまたミアを想うがゆえに成長したのだ。
彼だって本来の夢から逸れている事は自身で気づいている。バンドの仕事である雑誌の撮影において自身の表現したい物ではなく、他者から求められる虚しさに対し、つい心のうちのメロディが出てしまっている。
これは言うまでもなくオーディションで人から求められ続けたミアが自分の意思で物事を意思決定していく成長の様子と、自分の意思に素直に生きてきたセブが制約にしばられる道を進んでいく様子が対比して描かれている。
そう。夢も恋愛も自由も責任も、全てはトレードオフ。多くの物を一度に手にすることはできない。
だからそんな葛藤に悩みながら、自身の信じる道を進む二人の姿こそが美しい。
オーディションが終わり、ミアとセブは交際のきっかけとなったグリフィス天文台にいた。
ミアの「これからの二人はどうなる?」という問いに対し、セブは「わからない」と言葉につまりながらも「全てを捧ぎ没頭すべき」という、夢やキャリアについて優先する言葉を放つ。
ここで二人は「恋愛関係をもとに戻したい」「成功したら一緒になろう」という事を一切口にしない。
だからこそ二人は「ずっと愛している」と口にしあえる。
自分の夢を心から応援してくれる相手を、本当に愛しているからだ。
二人自身がお互いの夢について心から成功を願っていて、恋愛感情だけの関係性ではない。
二人は共に過ごしていた時間から、大人になった。
二人の夢の結末は
恋は自分の事だけ優先し、愛情は他者の事を考える。
こんな事をよく言うが、この二人にとってはよく当てはまる。
二人は自分の夢に恋をし、そのきっかけを与えてくれた互いを深く愛した。
セブが開いた店にミアが偶然訪れた際、セブは静かにあの曲を演奏し始める。
「セブとミアのテーマ」だ。この曲はセブが心から演奏したい気持ちを象徴する様な曲であり、自分で開いた店で演奏する事に最大の意味がある。
彼は今、自分の店で自分の好きなように演奏をする、という夢を叶えているからだ。(ミアとの偶然の出会いは別にして)
ここで幻想世界のイメージがスクリーンに映る。
これは二人が「もし違う選択をしていたら」という世界なのだが、個人的にこれはセブがミアに見せているイメージだと思っている。
この冒頭シーンで登場する歌詞。その歌詞とは…
He’ll sit one day, the lights are down
いつの日か彼は席について、明かりが落とされる時
He’ll see my face and think of how he used to know me
彼は私の顔を目にして思いを馳せるのでしょう、彼は昔の姿を想像するでしょう
この歌詞の事。これは彼(セブ)が、二人で共に生きたであろう姿を想像しているシーンだ。
ここでは大まかな所は現実世界と一緒なのだが、大きく異なる点がある。
「セブが店を開いていない」「セブとミアは共に生きている」ことだ。
つまり人生の選択を変え二人が共に生きても「二人の夢が同時には叶わない事」を表している。
幻想でも現実でもミアは女優になっているが、セブは幻想ではLAに店を持ってない。
つまりこれはシーンとして解釈すると
セブが「もし二人がこうしたら」のイメージをミアに見せる。
しかし共に生きる事は夢が叶わない事を伝える。
だからセブはミアに「二人の夢が叶ったのだからこれで良かったんだよ」と曲を通して伝えているのだ。
二人は互いの夢について成功し、満足した生活を送っている。
だからこれは二人が離れた悲しい結果ではなく、夢を叶えてくれてありがとうと感謝しているのだ。
なぜなら互いの存在が無ければ、二人は自分を見つめ直し成長する事は無かったからだ。
だから二人が出会った事と、ここで再開した事には間違いなく意味がある。
二人が最後に見つめ合い、言葉を交わさずに頷き笑顔になったシーン。
ここがこの映画の幾つかあるハイライトの一つでもあり、セリフが無くとも最もグッとくるシーン。
二人の出会った頃を思い出してほしい。
ジャズを語り合ったバーから出た際、ほのかに想い合う気持ちはありながら、振り向いてもタイミングは合わず目が合わなかった二人。
その二人が今は言葉を交わさずとも、自分の夢だけにとらわれず相手を想いやれる愛情を持つ人間に成長している。
いくつかのタイミングが重なりこの結末を迎えた二人だが、自分の夢に生きる事こそがきっと自分が心から望んだことであり成功。
そのチャンスや今を作ってくれた存在だからこそ、今でも互いに愛情を持っているのだ。
ラ・ラ・ランドが表現するのは自由である。監督自身が結末について明言していない事からも、その余白である解釈は僕たちに委ねられている。
この映画は大きく評価され、様々な人がそれぞれの思いや考えを持っている。
恋愛映画、ミュージカル映画、夢追い映画、ハッピーエンド、バッドエンド…
だけど僕は、二人の成長した姿こそが一番胸に響いている。
いつまでも二人の夢を追う姿を見ていたい。「映画と夢に恋する作品」と言ってしまうと陳腐な表現かもしれないが、僕にとっては可能性という夢を見させてくれる、そんな1本だ。
あなたは、どんな物を目指していますか?信じていますか?
この作品を観て、自分自身にもう一度問いかけてみるのも良いかもしれない。
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